1999年1月25日の葬儀でグラディス・ステインズ夫人が語った「私は既に赦(ゆる)しました」という言葉は、当時のインドを覆っていた憎しみの暗闇に福音のともしびを投じる結果となった。しかし、彼女たちのインドへの愛が本物であることが明らかになったのは、マスコミが去り、世界がこの事件を「過去のもの」として忘れ始めた後だった。(第1回から読む)
事件後、グラディスには当然のことながら、母国オーストラリアへの帰国という選択肢があった。最愛の夫と息子たちを焼き殺されたのだ。赦しは宣言しても、愛する家族を奪ったその土地で奉仕を継続するのは、心情的に拒絶しても無理もないことだろう。しかし、彼女はバリパダに留まることを選んだ。
「夫のグラハムは、インドの人々を愛してここに来ました。彼の働きはまだ終わっていません。私も、彼らと共にここにいたいのです」。彼女は夫の遺志を継ぎ、ハンセン病患者たちの傷を洗い続けることを決意した。それは、言葉だけの赦しではなく、彼女はその「赦し」を見せたのである。彼女はその後5年間インドで仕えた。
この母の背中を見て育ったのが、当時13歳だった娘のエスターである。悲劇の直後、怒りや恨み言を口にすることなく、母の赦しに同意したこの少女は、自らの進路として医学の道を選んだ。2004年、母とオーストラリアに帰国後、猛勉強の末に医師となった。
かつてステインズ宣教師が夢見た「ハンセン病患者たちのための近代的な病院」は、多くの寄付とこの母娘たちの献身によって04年、バリパダに「グラハム・ステインズ記念病院」として現実のものとなった。
05年、インド政府はグラディスに対し、民間人に贈られる最高位の勲章の一つ「パドマ・シュリー」を授与した。ヒンドゥー教徒が圧倒的多数を占めるインドにおいて、外国人宣教師の妻が、社会奉仕の功績で国家から表彰されることは極めて異例である。
そして15年には、マザー・テレサ賞を受賞した。彼女が示した「赦し」という名の暴力への回答は、宗教の壁を超えてインド国民の良心を動かしたのである。表彰式で彼女は、勲章そのものよりも、夫が愛した人々が自分を受け入れてくれたことに、深い感謝をささげたという。
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます」(ヨハネ12:24)。グラハムと息子たちの犠牲は、悲劇で終わらなかった。かつて宣教師を敵視していた地域でさえ、彼女たちの姿に真実の愛を見いだし、心を開く人々が続出した。(続く)
■ インドの宗教人口
ヒンズー 74・3%
プロテスタント 3・6%
カトリック 1・6%
英国教会 0・2%
イスラム 14・3%
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