ブラジルで起きている霊的変革は、教会の壁の中だけにとどまっていない。それはブラジルの家庭、社会、そして政治の領域にまで広がり始めているのだ。(第1回から読む)
政治の世界に入った福音派の信者たちは、単に権力を求めているのではない。彼らは、神の国の価値観を社会に持ち込もうとしている。家族の価値、道徳的な基盤、そして何よりも、神への畏れだ。
もちろん、これには批判もある。政教分離を主張する声もあれば、福音派の政治的影響力の増大を警戒する人々もいる。しかし、この動きをもはや誰も止めることはできない。なぜなら、それは単なる政治的な運動ではなく、霊的な変革の結果だからだ。
シラス・マラファイア牧師は語る。「神の国はブラジル社会のあらゆる領域に影響を与えています。教育、メディア、ビジネス、そして政治。私たちは単に教会の中にいるだけではありません。私たちは社会全体の塩となり光となっているのです」
この変化の影響は、ブラジルだけにとどまっていない。それは、世界中の国々に力強い霊的波紋となって影響を及ぼしている。神の国は、私たちが考えるよりもはるかに大きく、はるかに広く、はるかに早く緊急性をもって伝わっている。それは教会の壁を越え、社会のあらゆる領域に浸透していく力を持っているのだ。
しかし、ここで重要な問いが生じる。果たしてこの変革は継続的なものなのだろうか。それとも、一時的な現象に過ぎないのだろうか。そして、ブラジルのカトリック教会は、この変化にどう対処しているのだろう。
ブラジルのカトリック教会にとって、もはや問うべきは、今までの「首位的地位を失うかどうか」ではなく、「いつそれが来るのか」だ。その答えは、おそらく誰もが予想したよりも早いだろう。
しかし、この変化は単なる宗教的な統計の問題ではない。それは、一つの国の霊的な風景が根本的に変わりつつあることを意味しているのである。(続く)
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