2025年9月29日23時27分

聖書のイエス(18)「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」 さとうまさこ

コラムニスト : さとうまさこ

聖書のイエス(18)「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」 さとうまさこ
フルカラー聖書漫画『聖書のイエス』より

ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネによる福音書1章29節)

バプテスマのヨハネは、イエスが自分の方へ来られるのを見て、イエスが神の小羊であると宣言しました。それは、イエスが人類の罪を贖(あがな)うために犠牲となることを示していました。ヨハネは、イエスが神の御子であり、聖霊によって洗礼を授ける人であることを証ししました。

旧約聖書では、罪の贖いのために、傷のない動物を身代わりのいけにえとしてささげました。しかし、罪のない、神の子羊イエスが十字架にかかり、ご自身を人類の罪のいけにえとしてささげられたことにより、私たちの罪は完全に贖われ、赦(ゆる)される道が開かれました。

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。(イザヤ書53章3〜6節)

神の小羊イエスは、人々から軽蔑され、見捨てられ、多くの苦しみを経験し、十字架刑という苦難を通られました。それは、イエスが受けた苦難と傷を通して、私たちに平安と癒やしが与えられるためでした。

しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。(コリント人への手紙第一15章54〜57節)

罪の報酬は、死です。しかし、イエス・キリストが死なれ、3日目に復活されたことにより、死の力は打ち破られ、私たちは、裁きによる死から解放されました。このイエス・キリストの勝利によって、私たち信仰者は死ぬことがなく、天の御国に入る希望を与えられました。

イエスは、父なる神の御心に従順して人類の救いを全うし、死から復活されました。

彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」(ヨハネの黙示録5章12、13節)

私たちの罪のために十字架にかかり、命をささげられた、神の子羊イエス・キリストは、単に人類の罪を取り除くだけでなく、信仰者たちの魂の奥深くまで清めて、永遠の命を与えてくださる方です。

天地万物の創造主は、天の御座に座っておられ、この世の全てを支配しておられます。神の子羊により救われた私たちは、神に誉れと栄光と力をたたえる賛美を、天の御国で永遠にささげる特権が与えられました。栄光の王イエスに感謝いたします。

<<前回へ

◇

さとうまさこ

さとうまさこ

1990年、ちばてつやプロダクションに入社。イエス・キリストに出会い、91年に受洗。98年から週刊少年マガジン連載漫画家のアシスタントを務め、2010年に聖書漫画家として活動を開始。日本リバイバル同盟清瀬キングダムチャーチ執事、キングダム出版イラストレーター。著書に『聖書のイエス』『イエス最後の7日間』『天路歴程』『イエス・キリストの誕生』ほか。