
今回は、5章9~19節(新改訳、現代訳では10~20節)を読みます。この箇所の背景には、プトレマイオス2世時代のエジプトがあるように思えます。
富める者の不安と質素な民衆の充足
9 銀を愛する者は銀に満足することがなく、財産を愛する者は利益に満足しない。これもまた空である。10 富が増せば、それを食らう者たちも多くなる。持ち主は眺めるほかにどのような得があるのか。11 たらふく食べても、少ししか食べなくても、働く者の眠りは快い。富める者は食べ飽きていようとも、安らかに眠れない。
この箇所が示す「富める者」とは、8節に続いて、プトレマイオス2世のことだろうと思われます。これについては、聖書学者マルチン・ヘンゲルが、著書『ユダヤ教とヘレニズム』の中で、紀元前3世紀の歴史家フュラルコスの挿話を引用して、以下のように記しています(同書218ページ)。
前3世紀に存命した歴史家のフュラルコスはプトレマイオス二世フィラデルフォス(前285~246年)に関する挿話を報じているが、その天をゆるがす驕慢(きょうまん)と厭世(えんせい)的な絶望との対比はコヘレトのソロモンを例証している。
「エジプトの2人目のプトレマイオス王は、全統治者中最も立派であり、他の誰よりも教養に心を用いたが、それでもその判断において多大の過ちを犯し、また過度の贅沢(ぜいたく)によって堕落させられた結果、彼が永遠に生き続けるであろうと信じ、かつ彼のみが不死であると主張した。彼は数日続いた痛風の発作から回復し、いくつかの窓からエジプト人を眺め、彼らがグループごとに川岸の砂山に坐(すわ)り、自分たちの粗末な食事をいかに楽しんでいるか(伝5・11、16と比較)を眺めた時、こう叫んだ。『彼らの一人になれないとは、わたしは不幸な人間だ』」。
つまり、フュラルコスの挿話に登場する、川岸の砂山に座って粗末な食事を楽しんでいる人たちは、コヘレトの言葉(伝道者の書)5章11節で伝えられている「快く眠る働く者」であり、「彼らの一人になれないとは、わたしは不幸な人間だ」と叫ぶプトレマイオス2世は、「食べ飽きようとも安らかに眠れない富める者」であるということだろうと思います。
プトレマイオス2世は、重商主義的政策(国家が積極的に経済活動に介入することで、国力を高めようとする政策)を採った王であり、それにより自身も巨大な富を築いた人でした。しかし、その富を民衆にまで行き届かせていたわけではなかったのです。コヘレトは、その状況を批判的に捉えて伝えているのだと思います。
そうすると、コヘレトがプトレマイオス2世の日常を観察していたということであり、その舞台は、イスラエルではなく、エジプトのアレクサンドリアではないだろうか、という疑問が湧きます。実は、この箇所に至るまでにも、コヘレトの言葉の中にはそう思わせる箇所が多々ありました。しかし、今回の箇所は特にそのように思わせるのです。
コヘレトの言葉がアレクサンドリアで成立したとする説は、公に存在します。『新カトリック大事典Ⅱ』のコヘレトの言葉に関する項目には、「成立の場所、背景についてはパレスチナ(エルサレム)かエジプト(アレクサンドリア)かで意見が分かれる」と記されています(同書937ページ)。
また、1章7節の「すべての川は海に注ぐが、海は満ちることがない。どの川も行くべき所へ向かい、絶えることなく流れゆく」について、「もしかしたらコーヘレトはアレクサンドリアへの行き帰りに、黄金色に光る砂の無限の広がりの間を通って悠然と『海に流れる川』ナイルをじっと眺めながら、ひとり永遠なるものへの思いを馳(は)せたのかもしれない」と推察しているものもあります(池田裕著『旧約聖書の世界』40ページ)。
プトレマイオス2世の治世には、アレクサンドリアにユダヤ人居住区ができ、相当な人口がいたとされています。そうすると、コヘレトがユダ人居住区の住人として、この書を著したと考えられなくもありません。
この時代には、プトレマイオス2世の要請によって、アレクサンドリアで七十人訳聖書の翻訳が行われました。イスラエルから12部族6人ずつ72人の翻訳者がアレクサンドリアに派遣され、モーセ五書の翻訳がなされたとされています。このように、イスラエルとアレクサンドリアを行き来する人たちは、結構いたのではないかと思います。コヘレトは、そのような人たちの一人であったのではないかと思わされるのです。
歴史家フュラルコスと同様に、プトレマイオス2世と民衆の暮らしぶりを観察したアレクサンドリア在住のコヘレトが、富を極め尽くしたものの、それを狙われる不安にさいなまれるプトレマイオス2世と、質素だけれども充足感を持って暮らす民衆を対比させ、いささかの皮肉を込めてこの箇所を書いているように思えるのです。
痛ましい不幸
12 太陽の下で私は痛ましい不幸を見た。富を蓄えても、持ち主には災いとなる。13 その富はつらい務めの中で失われる。子が生まれても、その手には何もない。14 母の胎から出て来たように、人は裸で帰って行く。彼が労苦しても、その手に携えて行くものは何もない。15 これもまた痛ましい不幸である。人は来たときと同じように去って行くしかない。人には何の益があるのか。それは風を追って労苦するようなものである。
再び富める者が話題にされていますが、12~13節でいわれている人と、14~15節でいわれている人は別であるように思えます。少なくとも、前者はプトレマイオス2世ではないと思います。この時代には、ピラミッド型の官僚制度が整えられていて、その高官たち(5章7節参照)は、前述した重商主義的政策の恩恵を受け、大きな富を蓄えていました。ことによると、ここで伝えられている富める者とは、そういった高官たちであり、この話もアレクサンドリアを舞台にしたものかもしれません。
12節と15節の「痛ましい不幸」は、コヘレトの言葉で繰り返される「不幸・災い(ラーアー / רָעָה)」の中では最上級の表現です。ここでは、「富を蓄えても、その富を失い、子どもに残すものがない」ということと、「富を蓄えても、死ぬ時には無一文になる」という2つの「痛ましい不幸」が語られています。後者は、プトレマイオス2世についていっているのかもしれません。
コヘレトにとって、これらは「風を追って労苦するようなもの」なのです。彼は、アレクサンドリアでナイル川の風に吹かれながら、富める者たちの姿を見て、それを痛感したのかもしれません。
16 人は生涯、食べることさえ闇の中。いらだちと病と怒りは尽きない。17 見よ、私が幸せと見るのは、神から与えられた短い人生の日々、心地よく食べて飲み、また太陽の下でなされるすべての労苦に幸せを見いだすことである。それこそが人の受ける分である。18 神は、富や宝を与えたすべての人に、そこから食べ、その受ける分を手にし、その労苦を楽しむよう力を与える。これこそが神の賜物である。19 人は人生の日々をあまり思い返す必要はない。神がその心に喜びをもって応えてくれる。
ここまでに書かれてきたことを通して、たとえ富を築いたとしても、生涯にわたって心地よく、光を浴びながら食事をし続けることはできるものではない、ということが明らかにされました。しかし、17節でコヘレトの書き方は一変します。2章24~26節や3章12~13節などで伝えられていたことが再び説かれています。ひょっとすると、今回の箇所は、質素だけれども充足感を持って暮らしているエジプトの民衆を念頭に置いているのかもしれません。
巨万の富を手にしても満足できない人や、それを失ってしまう人たちよりも、その時々に心地よく食べ、それを永遠の神からの賜物(プレゼント)として受け取ることができるならば、神はその人に、力と喜びを与えてくださるということが示されています。(続く)
◇