仏教葬儀文化の由来
日本の仏式葬儀の割合は徐々に低下傾向ですが、いまだに80%以上を占めています。その起源は今から400年以上もさかのぼり、江戸時代のキリスト教迫害期に切支丹(キリシタン)弾圧のために実施された檀家制度(寺請制度)にあります。
檀家制度とは、江戸幕府が1612(慶長17)年にキリスト教禁止令を出し、全ての人が身分を問わず、特定の寺院に所属し(檀家になり)、寺院の住職がその証明として寺請証文を発行したことを指しています。
寺請制度は、事実上国民全員が仏教徒になることを義務付けるものであり、仏教を国教化するのに等しい政策でした。寺請を受けない(受けられない)とは、キリシタンのレッテルを貼られ、迫害の対象とされ、無宿人として社会権利の一切を否定される厳しいものでした。
この制度の目的は、当時キリスト教宣教の旗印の下、世界の多くの国を植民地として従属させてきた欧州(スペイン、ポルトガルなど)の侵略を未然に防ぐことであり、国家の存亡をかけた重要な防衛政策だったわけです。
その時以来、日本では延々と仏教葬儀文化が受け継がれてきました。政治の道具として用いられた仏教ですが、檀家制度の下、それぞれの家には先祖とつながる日本固有の仏教文化が受け継がれました。
寺院の住職たちは檀家制度の下、地域住民に生前から寄り添い、葬儀や法事を通して信頼関係を築いていきました。やがて仏教葬儀文化は日本に根付き、日本人のほとんどは、家族親族で構成される「家」の一員として生活し、やがて召された後は、先祖の家族に迎えられると考えるようになりました。
日本人が家族親族を大切にする思いは、このような仏教葬儀文化の中で育まれていったのでしょう。
欧米のキリスト教文化を移植した日本宣教
日本宣教が世界でもまれなほど拡大しない理由はさまざまですが、日本宣教が前述したような日本文化になじむことなく、欧米の個人主義を基調としたキリスト教文化をそのまま持ち込んだことが主な要因と考えています。
現代社会では、かつてのような植民地化の危険はなく、檀家制度は既に廃止され、地域住民と寺院との関係は薄れています。しかし、育まれた文化は受け継がれ、日本人の多くは家族親族を大切に思い、かつての寺院の住職のように、生前から寄り添ってくれる人を求めているように思います。
かつての寺院の住職のように
仏教葬儀文化の中、多くの仏具や読経を取り入れた仏教は形骸化し、生前に寺院の住職が地域住民に寄り添う道が絶たれていきました。現代社会では、むしろキリスト教の牧師の方が、これまでの医療や教育における貢献が評価され、生前から寄り添える環境が整えられたように思います。
この機に、私たちは知恵を尽くして、孤独の中でエンディングの弱さに向かう多くの人々に寄り添える道を探りたいと思います。仏教葬儀文化が残したものに対抗するのではなく、良い文化を受け継ぎ、その中に福音を届けていく姿勢が大切だと思います。
特に、地域教会の牧師は、地域住民のエンディングに生前から寄り添い、たとえキリスト教葬儀を選べず、仏式葬儀になったとしても、進んで遺族に寄り添い、葬儀に参列することを心がけていただきたいと思います。
仏教の法事の文化にも積極的に寄り添うことで、新しいキリスト教葬儀文化が生まれてくるでしょう。
教会が日本人のエンディングを支える
今後、多くの日本人が生前から教会(牧師)に寄り添われ、信仰を得て家族親族の絆を深め、やがて天国で、先に召された家族や先人たちと再会する希望を抱ける時代が来ることを心より願っています。
近い将来、教会が日本人のエンディングを支える時代がやって来ると信じています。
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