2025年6月6日15時13分

シリア語の世界(25)シリア語聖書が作られた背景 川口一彦

コラムニスト : 川口一彦

シリア語聖書が作られた背景

A. 紀元前のメソポタミアにおけるシリア語以前のアラム語について

メソポタミア地域で話されていたアラム語は、フェニキア文字から始まり、アラム語碑文で発見された最も古いものは、紀元前9世紀にさかのぼる。書体は、フェニキア文字に近い。

前570年ごろのアラム語で刻まれた粘土板は、ネブカドネザル王の時代のもの。前333年ごろとされる木の棒に書かれたものも発見されている。アラム語で書かれた旧約聖書の舞台の一部はメソポタミアである。トルコ南東部の都市シャンルウルファは、アブラハムが生まれた地との伝承や、ヨブの生誕地とのことから、預言者の町と呼ばれている。

シリア語の世界(25)シリア語聖書が作られた背景 川口一彦
シリア語の世界(25)シリア語聖書が作られた背景 川口一彦

B. 紀元後にシリア語聖書が作られた背景

シリア語聖書は約2世紀ごろから5世紀ごろにかけて、現在のトルコ南東部に位置するエデッサ(現在のシャンルウルファ。エデッサとは「美しい者」の意味。もともとマケドニアにあって、そこの名にちなんで名付けられた)において、アラム語からアルファベット(西シリア語読みは「オラフベト」)の22文字を作り、旧約聖書はヘブル語から、新約聖書はギリシア語から訳したといわれる。シリア語聖書は古代訳とぺシート(ペシッタともいって「簡単」「簡易」の意味)訳がある。

初期のシリア語新約聖書には、現在の27書ではなく、次の書が入れられていなかった。ペテロの手紙第二、ヨハネの手紙第二と第三、ユダの手紙、ヨハネの黙示録。後にこれらが加わって完成した。唐代中国の大秦景教流行中国碑(781年建立)には、新約27書とある。初期のシリア語旧約聖書にはバルク書、シラ書の外典(続編)が加えられていた。このことから、初期の翻訳過程においては、正典決定が不安定であったことがうかがえる。

メソポタミアの地は、離散のユダヤ人が多く住み、旧約聖書も普及していた。イエス様の降誕と公生涯活動によって信仰者が起き、イエス降誕の時に東方から星に導かれて礼拝に来た幾人かの博士たちは、この地を通った。さらに、イエスの伝道活動で病気が癒やされたとのうわさがシリア地方に広がり、ガリラヤ地方を訪れる者たちが増えていった。マタイ4章24節には「イエスの評判はシリア全域に広まった」と記されており、それはさらに拡大したと考えられる。

聖霊降臨時には、パルティアやメソポタミアからの巡礼者もいた(使徒2章9節)。一部の使徒たちや70人の弟子たちがこの地を伝道し、メソポタミア北部にあった小国オスロエネ王国が、その王アブガルの病が癒やされたことからキリスト教国になったこと、またローマ帝国の迫害からパルテア王国内に移住する信仰者が増加し、共同体の信徒たちが聖書を簡潔な文で読み書きするようになり、信仰育成のために作られていった。

特に、その地の共通語であったアラム語を理解できない者たちのために作られ、普及していった。各地に修道院をつくり、一日にささげる7度の礼拝での典礼用シリア語聖書やシリア語賛美歌も写された。神学校では、正統教理書の作成や、信仰育成がなされると指導者たちも輩出され、西方ローマ帝国に向かうことよりも、西アジアから東方への国外宣教によってペルシア、中央アジア、中国へとバイブルメシアロードを通じて各要所に教会堂が建設され、伝道が拡大していった。

シリア語で書かれた多数の信徒墓石や石碑などが中国各地、中央アジアで発見されている。そのことから、シリア語による宣教が東方に拡大していったことがうかがえる。

ぺシート版シリア語聖書の一部(著者所有・撮影)

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シリア文字の各書体

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修道院で使用されている預言者ダビデの賛美歌(著者撮影)

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シリア語聖書の最初の書体は、「丸い」という意味のエストランゲロ書体といわれる。セルトー書体は西方のシリア正教会で使われ、ペルシア帝国内のアッシリア東方教会で使われるのは東方書体。エストランゲロ書体はどの地でも使われ、特にタイトル文字として使われている。母音を付けての読みは、地域の話者によって多少異なる。

C. 東アジアに伝わり、広まったシリア語

635年に唐代中国に入って宣教した教団は、アッシリア東方教会である。中国での名称は、745年に波斯(ペルシア)教から大秦景教と改名した。東方大秦景教は、同じシリア語でも、カルデア語ともいわれる。彼らの使用言語がシリア語であったことは、発見された史料で分かる。彼らはシリア語聖書やシリア語賛美歌、シリア語教理書を持っていた。聖書と賛美歌、教理書は、今日も宣教師らの必要書物3点セットといえよう。

781年に長安の会堂内に建立された大秦景教流行中国碑に刻まれた多くのシリア語は、貴重な歴史的資料といえよう。そのシリア語と和訳を紹介する。

シリア語の世界(25)シリア語聖書が作られた背景 川口一彦
シリア語の世界(25)シリア語聖書が作られた背景 川口一彦

また、漢文賛美歌の「大秦景教三威蒙度讃」は、シリア語の原書が発見されている。その一部を紹介する。

シリア語の世界(25)シリア語聖書が作られた背景 川口一彦

(続く)

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※ 参考文献
『古代シリア語の世界』(イーグレープ、2023年)
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
『景教碑の風景』(シリーズ「ふるさと春日井学」3、三恵社、2022年)

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川口一彦

川口一彦

(かわぐち・かずひこ)

1951年、三重県松阪市生まれ。愛知福音キリスト教会宣教牧師、基督教教育学博士。聖書宣教、仏教とキリスト教の違い、景教に関するセミナーなどを開催。日本景教研究会(2009年設立)代表、国際景教研究会・日本代表を務める。季刊誌「景教」を発行、国際景教学術大会を毎年開催している。2014年11月3日には、大秦景教流行中国碑を教会前に建設。最近は、聖句書展や拓本展も開催している。

著書に 『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年)、『仏教からクリスチャンへ―新装改訂版―』『一から始める筆ペン練習帳』(共にイーグレープ発行)、『漢字と聖書と福音』『景教のたどった道』(韓国語版)ほかがある。

【川口一彦・連絡先】
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