2024年9月21日08時59分

ワールドミッションレポート(9月21日):スーダン 自殺を志願した戦争孤児の変えられた人生(3)

執筆者 : 石野博

戦争と貧しさによって不遇な少年時代を過ごしていたスワ牧師は、人生の不条理に打ちひしがれ、いつも死にたいと願っていた。そんなある時、引き寄せられるようにして賛美歌の聞こえるチャペルに入った。学友と共に賛美を歌うと、人生に絶望していたスワ少年に主が触れたのだ。それ以来、彼はキリストのものとせられたのである。以下はスワ牧師自身の言葉による証しだ。(第1回から読む)

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1990年になると、ACROSS(スーダンの開発機関)が、ナイロビでの仕事を提供してくれました。私はナイロビからスーダンの開発を支援するために、MAF(福音派の航空宣教団体)のフライトに何度も同乗しました。この期間中、聖公会の牧師としての訓練も受けることができたのです。

そのようにして私は、学びながら数年間の安定的な奉仕に就いていたのです。ところがある年、残念なことにケニア政府は私のビザを延長してくれなかったのです。再び私たち家族は不確かな未来に直面してしまったのです。しかしそんな時、ありがたいことにオーストラリアの宣教師たちが、私たち家族の後援を申し出てくれたのです。それによって私たちには、シドニーでの新しい生活の道が開かれたのです。

私たちは2000年にオーストラリアに移住しました。シドニーには、スーダン人のコミュニティーがありました。そこで私は、オーストラリアの文化に適応できなくて苦労しているスーダン人を助けるため、彼らのコミュニティーに加わりました。

私は彼らの教会のリーダーとして、彼らを支援しました。しかし私は、この奉仕が私に与える精神的な影響を過小評価していたのです。コミュニティー内では家庭内暴力が一般的で、私は仲間たちの家庭問題の仲裁や、問題を処理するために、警察署に出入りするのが常でした。そのような過酷な奉仕が続いたのです。

2004年になる頃には、私は心身ともに限界に達してしまいました。この時期、私はうつ病に陥り、精神的に落ち込んでしまって立ち上がることができないでいたのです。妻は、植物人間のように無気力になってしまった私に耐えかね、去って行きました。そのような紆余曲折を経て、もう一度人間らしさを取り戻すのに、私は1年の時間を要したのです。(続く)

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■ スーダンの宗教人口
イスラム 61・4%
プロテスタント 14・8%
カトリック 10・7%
土着宗教 11・1%

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石野博

石野博

(いしの・ひろし)

2001年より、浜松の日系ブラジル人教会で日本人開拓、巡回伝道者として従事。12年より、奥山実牧師のもと宣教師訓練センター(MTC)に従事、23年10月より、浜松グッドニュースカフェMJH牧会者として従事。18年3月より、奥山実牧師監修のもと「世界宣教祈祷課題」の執筆者として奉仕。23年10月より「世界宣教祈祷課題」を「ワールドミッションレポート」として引き継ぎ、執筆を継続している。