2024年9月19日11時21分

ワールドミッションレポート(9月19日):スーダン 自殺を志願した戦争孤児の変えられた人生(2)

執筆者 : 石野博

スーダン内戦によって家族が引き裂かれ、難を逃れたウガンダで何年もの難民生活を余儀なくされた少年時代のベルナード・スワ牧師は、不遇な少年時代をいつも死にたいと願いながら過ごしていた。アディスアベバ和平協定によってようやく祖国への帰還の兆しが見えてきた矢先、粗暴な民兵たちのこの上ない暴虐によって、ベルナード少年は最愛の母を失ってしまった。これは、人生に失望しきった彼が、いかにしてキリストに出会ったかの物語である。以下は、スワ牧師自身の言葉による証しだ。(第1回から読む)

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母を亡くした私は、人生のかけらを何とかして拾おうともがきました。幸運にも無償で中等学校に入学できたのですが、そこには500人以上の生徒がいました。それにもかかわらず、母を失ってからの私は、まるで自分が存在していないかのように感じていました。

家にも居場所がなく、週末や休日は、もっぱら学校で寄宿生活をしていた私でした。毎週日曜日には、学校の敷地内のいつものマンゴーの木の下に座り、私はもの思いにふけっていました。戦争や貧困は、どうしてこんなにも自分の人生をめちゃくちゃにしてしまったのか、なぜ自分はそれでも生きなければならないのか。多くの生徒がいたのに、私はいつも孤独を感じ、自分には生きる価値がないと思っていました。

ある日曜日、どうやって命を絶つかを考えていたときです。近くの礼拝堂から歌が聞こえてきました。「慈しみ深き、友なるイエスは」という歌詞が聞こえたとき、何だか自分のことを呼んでいるような気がしたのです。私は木の下を離れ、チャペルの中に入り、礼拝していた他の生徒たちと一緒に歌いました。それが私の新しい人生の始まりでした。その時以来、私の人生は二度と同じではなくなったのです!

この時の礼拝を導いていた牧師は、MAF(福音派の航空宣教団体ミッション・アビエーション・フェローシップ)が共同設立したスーダンの開発機関ACROSSのために働いていました。これらの人々が、少年の私が切実に必要としていた希望と方向性を与えてくれたのです。

信仰は私のうちに不動の平和をもたらしましたが、一方、それとは裏腹に当時のスーダン社会は混沌の中で崩壊しつつありました。1983年、第二次スーダン内戦が勃発したのです。29歳の私は、新妻と当時生まれたばかりの娘の安全を第一に考えなければならなかったのです。それで私たちは内戦を避け、ケニアのナイロビに逃げました。ジュバ空港では、民間航空機が運航停止していたため、唯一の脱出手段はMAFだけだったのです。(続く)

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■ スーダンの宗教人口
イスラム 61・4%
プロテスタント 14・8%
カトリック 10・7%
土着宗教 11・1%

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石野博

石野博

(いしの・ひろし)

2001年より、浜松の日系ブラジル人教会で日本人開拓、巡回伝道者として従事。12年より、奥山実牧師のもと宣教師訓練センター(MTC)に従事、23年10月より、浜松グッドニュースカフェMJH牧会者として従事。18年3月より、奥山実牧師監修のもと「世界宣教祈祷課題」の執筆者として奉仕。23年10月より「世界宣教祈祷課題」を「ワールドミッションレポート」として引き継ぎ、執筆を継続している。