2024年6月1日14時52分

日本人に寄り添う福音宣教の扉(199)最善のエンディングを通して祝福が広がる 広田信也

コラムニスト : 広田信也

長年、日本のクリスチャン人口は1%程度にとどまり、宣教が進まない要因として、未信者との交流が少ないことを192回コラムで述べました。地域住民に開かれた教会こそ、宣教の最前線になり得ますので、未信者との交流を増やす工夫にぜひとも挑戦していただきたいと願っています。

ただ、せっかく交流が増えても、宣教活動として、聖書のことばを知的に伝えることや、教会の礼拝や伝道集会、あるいは単発的なイベントに導くなど、一般の日本人があまり期待していない手法ばかりを選ぶと、効果が少ないかもしれません。

聖霊の導く有効な宣教手法が選ばれてこそ、宣教は拡大するものですから、今回は日本社会にふさわしい宣教手法について、弊社の体験を通し、考える機会にしていただきたいと思います。

日本社会に寄り添った宣教活動の拡大

一般の日本人は宗教嫌いといわれますが、多くの人が信仰の大切さを知り、キリスト教の中にある献身的な隣人愛による活動を高く評価しています。また、信仰者の祈りに畏敬や憧れのような感覚を抱く方も少なくありません。

私たちはそのような日本人に寄り添う宣教手法を見いだすため、話を聴いてほしいと依頼される方の話し相手になり、祈ってほしいと依頼される方の祈りを導くことを続けてきました。

さまざまな働きの提案をしていますが、全ての働きは、教会や聖書に疎遠な方からの依頼に沿って実施していますので、現代の日本社会が求める宣教手法に導かれてきたように思います。

当初、家庭内の節目のイベントを企画し、牧師や教会との連携を通し、未信者に寄り添う機会を定期的に得ようと考えましたが、習慣のないイベントを一般社会から継続的に依頼されることはありませんでした。

ところが、教会に疎遠となった信者や未信者からキリスト教葬儀の司式依頼を頂くことだけは予想外に多く、特に生前から関わり、エンディングを共に伴走させていただくと、葬儀だけでなく、長期にわたって寄り添える道が開かれていきました。

次第に、葬儀に続く納骨式や記念会の司式依頼も増え、当事者や家族、親族の中に継続的に神様の祝福が届けられるようになりました。新たに信仰を持つ方が起こされ、未信者の家庭が短期間に変えられ、地域教会に集うようになる例も何度かありました。

葬儀にリピーターは少ないと思いましたが、これまでの約8年の経験の中で、同じ家庭から親子2代や、中には3代にわたる依頼もありました。

また、3年ほど前から始めた、継続的傾聴を無償で行う(一社)善き隣人バンクでは、働きを広報するまでもなく、予想を超える依頼が入り、多くの方のお話を聴かせていただけるようになりました。

長期にわたる継続的な傾聴は簡単な働きではありませんが、全国には弱さに寄り添えるレベルの高い信仰者が備えられ、スタッフとして加えられています。この働きは、おそらく今後の日本社会に大きく貢献する宣教の働きになるでしょう。

特に、死を目前にした当事者や家族への傾聴活動として、地域教会の牧師が訪問した場合、教会を離れた信者が祝福されるのはもちろん、当事者が未信者の場合には、信仰に導かれ、洗礼を受けて召される事例が頻繁に起こるようになりました。

これらの依頼は全国から電話やネットを通して入り、しかも緊急性の高い場合が多いため、対応できるスタッフや牧師が連携者の中に見いだせないことがよく起こります。さまざまなつてを頼りに人材を探しますが、依頼者の近隣の教会にいきなり電話を差し上げ、人材を探すこともあります。

幸いなことに、これまで神様は最善の器を各地の教会に準備しておられ、神様の尊い御業を共有させていただいています。日本の地域教会や牧師のレベルの高さにも大変励まされています。

このような将来の霊的覚醒を予感させる働きの実態をご紹介するセミナーを6月27日に新横浜で開催します。ご興味のある方は、ぜひお越しください。(詳細、参加申し込みはこちら)

夫、父親の葬儀相談から

2年ほど前のことですが、関東方面から生前の葬儀相談が2件入りました。余命宣告を受けたご主人の相談と、同じような状況にある実家のお父様の相談でした。話を聴くうちに、当事者が同一の方であることが分かり、ご家族の中に一致した願いがあることを知りました。

ご家族の中に、教会や聖書との深いつながりはありませんでしたが、キリスト教葬儀を強く希望され、その際の葬儀手配を依頼されました。私は、福音をお伝えしたい思いから、牧師が生前に訪問できることをお伝えし、何とか牧師の生前訪問の依頼を頂こうとしました。

こちらからの唐突な提案であり、面識のない宗教者が、死を目前にした未信者宅を訪問するのは、仏教の僧侶ではあり得ないことです。しかし、無料で訪問できること、不安に寄り添えること、最善のキリスト教葬儀の備えができることなどを熱心にお伝えし、何とか牧師の生前訪問の依頼を頂きました。

私は、早速近隣の連携牧師にお電話を差し上げ、当事者宅への訪問をお願いしました。ありがたいことに、牧師は状況を即座に理解してくださり、快く訪問の依頼を受けてくださいました。あまり時間が残されていないようでしたので、病床洗礼を視野に入れて対応してほしい旨も伝えました。

もちろん洗礼を授けるかどうかは訪問する牧師の判断ですので、こちらから強くお願いすることはできません。また、一度訪問していただいても、その後の対応は牧師や地域教会に委ねるしかありません。

その際の牧師は、何度か訪問してくださったようですが、当事者が信仰に導かれることはなかったようです。少し残念に思いましたが、地域宣教を担っておられる牧師に委ねたわけですから、頻繁に様子を尋ねるのを控え、遠い場所から祈り続けることにしました。

最善のエンディングへ

やがて1年半ほどが経過し、再びご主人のことで奥様からの電話が入りました。お話によると、奇跡的に余命が延ばされたが、いよいよ余命1カ月と宣告されたので、具体的な葬儀の準備をしたいとのことでした。今回も牧師の訪問依頼ではなく葬儀手配の依頼でした。

私は連携している葬儀社を紹介し、葬儀の見積もりを提示し、さらに1年半前に紹介した牧師による再訪問を、心を込めてお勧めし、その際も依頼を頂くことができました。

それから召されるまでの3カ月余り、神様はこの家庭を大いに祝福してくださいました。立ち上がれないほど衰弱しておられたご主人と奥様が信仰を持たれ、そろって教会に来られて洗礼を受けられました。またその後の日曜日には、礼拝とともに聖餐式に参加されました。

その際の感動を奥様と牧師から相次いで電話で伺い、心から喜びを分かち合うことができました。エンディングに向かう弱さの中、神様の完全な救いの御業を体験させていただき、感謝があふれました。間もなくご主人は召され、生前から寄り添い洗礼を授けた牧師が、ご家族の集う葬儀の司式に対応しました。

ご家族にとっては、悲しい別れでしたが、慰めと励ましの満ちる葬儀になったようです。祝福は確かに受け継がれ、最初に奥様と同時に葬儀の生前相談をされた娘様が、ご両親に続いて洗礼を受けることになりました。神様の与えてくださる祝福は、当事者だけではなく、関わる人々に確実に広がっています。

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広田信也

広田信也

(ひろた・しんや)

1956年兵庫県生まれ。80年名古屋大学工学部応用物理学科卒業、トヨタ自動車(株)入社。新エンジン先行技術開発に従事。2011年定年退職し、関西聖書学院入学、14年同卒業。16年国内宣教師として按手。1985年新生から現在まで教会学校教師を務める。88~98年、無認可保育所園長。2014年、日本社会に寄り添う働きを創出するため、ブレス・ユア・ホーム(株)設立。21年、一般社団法人善き隣人バンク設立。富士クリスチャンセンター鷹岡チャペル教会員、六甲アイランド福音ルーテル教会こどもチャペル教師、須磨自由キリスト教会協力牧師。関連聖書学校:関西聖書学院、ハーベスト聖書塾、JTJ宣教神学校、神戸ルーテル神学校