2023年11月30日22時21分

古代東方大秦景教旅行写真記(16)メソポタミアの地トルコの東方教会(4)聖ヤコブ修道院 川口一彦

コラムニスト : 川口一彦

一行が次に訪問したのは聖ヤコブ修道院。ガイド・マップと修道院のガイドさんから丁寧な説明を聞いた部分をまとめた。

古代東方教会遺跡巡り旅行記(16)メソポタミアの地トルコの東方教会(4) 川口一彦
古代東方教会遺跡巡り旅行記(16)メソポタミアの地トルコの東方教会(4) 川口一彦

聖ヤコブは、西暦3世紀半ばにこの地で生まれ、ヌサイビン(ニシビス)近くの修道院で俗世を捨てて司祭としての生活を始めた。ヌサイビンの権限ある人々が彼を修道院からディヤルバクルに連れてきて、西暦309年に聖マリア教会で開催された司教会議の決定により、彼はヌサイビンの司教に昇進した。彼は、ヌサイビンの教会は小さいと考え、313年に聖ヤコブ修道院の建設を開始。その一部が現在も存在している。

教会内部にある長さ3メートルの石、石の加工を見せるアーチの装飾、神聖な儀式が執り行われる部分のハーフドームなど、壁面のモチーフや構造物が幻想的なたたずまいを見せている。この聖ヤコブは教会教父と呼ばれ、彼の弟子にシリアのエフレム(306〜73)がおり、エフレムは彼から信仰教育と典礼教育を学び育てられたといわれる。

古代東方教会遺跡巡り旅行記(16)メソポタミアの地トルコの東方教会(4) 川口一彦
修道院正面玄関門。上部に彫られた紋章とシリア語。
古代東方教会遺跡巡り旅行記(16)メソポタミアの地トルコの東方教会(4) 川口一彦

この地域で行われた発掘調査では、5つの建物跡が確認され、修道院の西側で大聖堂が発掘された。13世紀にさかのぼると考えられる建築の部屋の遺跡が、墓地の下で発見された。発掘調査が行われたことで、教会に関連する建築構造が教会の四方全てで明らかになった。

発掘調査は進んでいるものの、全てが明らかになったのではない。なぜなら発掘調査に関わる費用がないとのことで、何とか進むよう願っていると懇願していたことが印象的だった。

古代東方教会遺跡巡り旅行記(16)メソポタミアの地トルコの東方教会(4) 川口一彦
夕日に照らされた礼拝室の光景
古代東方教会遺跡巡り旅行記(16)メソポタミアの地トルコの東方教会(4) 川口一彦
古代東方教会遺跡巡り旅行記(16)メソポタミアの地トルコの東方教会(4) 川口一彦
古代東方教会遺跡巡り旅行記(16)メソポタミアの地トルコの東方教会(4) 川口一彦
古代東方教会遺跡巡り旅行記(16)メソポタミアの地トルコの東方教会(4) 川口一彦
トルコ語で書かれた聖ヤコブ教会の看板
古代東方教会遺跡巡り旅行記(16)メソポタミアの地トルコの東方教会(4) 川口一彦
シリア語
古代東方教会遺跡巡り旅行記(16)メソポタミアの地トルコの東方教会(4) 川口一彦
発掘で発見された多くの石造物の一部

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※ 参考文献
『古代シリア語の世界』(イーグレープ、2023年)
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
『景教碑の風景』(シリーズ「ふるさと春日井学」3、三恵社、2022年)

【著者の最新刊】
『古代シリア語の世界』(イーグレープ、2023年)

古代東方教会遺跡巡り旅行記(14)メソポタミアの地トルコの東方教会(2) 川口一彦

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川口一彦

川口一彦

(かわぐち・かずひこ)

1951年、三重県松阪市生まれ。愛知福音キリスト教会宣教牧師、基督教教育学博士。聖書宣教、仏教とキリスト教の違い、景教に関するセミナーなどを開催。日本景教研究会(2009年設立)代表、国際景教研究会・日本代表を務める。季刊誌「景教」を発行、国際景教学術大会を毎年開催している。2014年11月3日には、大秦景教流行中国碑を教会前に建設。最近は、聖句書展や拓本展も開催している。

著書に 『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年)、『仏教からクリスチャンへ―新装改訂版―』『一から始める筆ペン練習帳』(共にイーグレープ発行)、『漢字と聖書と福音』『景教のたどった道』(韓国語版)ほかがある。

【川口一彦・連絡先】
電話:090・3955・7955 メール:[email protected]

フェイスブック「川口一彦」で聖句絵を投稿中。また、フェイスブック「景教の研究・川口」でも情報を発信している。

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