2022年12月29日21時18分

伝統・習慣に残る先人のメッセージ 穂森幸一

コラムニスト : 穂森幸一

主はヤコブのうちにさとしを置き、みおしえをイスラエルのうちに定め、私たちの先祖たちに命じて、これをその子らに教えるようにされた。後の世代の者、生まれてくる子らが、これを知り、彼らが興り、これをその子らにまた語り告げるため、彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、その仰せを守るためである。(詩篇78:5〜7)

お正月になると、ほとんどの家庭でお雑煮やお節が振舞われます。私はお雑煮を食べると新しい年が来たんだなあと実感できます。お雑煮の中には必ず入れなければならないといわれているものがあるのですが、地域によってかなり異なるようです。南九州では餅とサトイモは欠かせないといわれています。

考古学を学んでいる人が、お雑煮の中に必ず入れるようにいわれているものは、縄文人の主食だった可能性が大きいと発言していたのを聞いたことがあります。年1回しか食べないお雑煮の中に必ずこの食材を入れるように指示することによって、自分たちが食していたものを後代に伝えようとしているのだと思うと、大変興味深いです。

年末年始になると、いろいろな決まり事があります。大みそかまでに徹底した大掃除をすること、正月7日は家事に追われずにゆっくりできるように十分なお節を用意すること、2段重ねの餅を床の間に飾ることなど、当たり前のこととして受け継がれています。

大みそかに除夜の鐘を聞いたら、寝ないで新しい年明けを迎え、早々に近くの神社に繰り出し、参拝していました。お正月になると全てが一新されるような感覚になり、子ども心にわくわくした思いがあったことを思い出します。しかしよく考えてみれば、何がめでたいのか、たった一日でどうして全てが一新するのか不思議に思ったこともあります。

縄文後期から古墳時代に日本に渡来したといわれる古代ユダヤ人がこのしきたりを始めたと言えば、作り話に感じられるかもしれません。しかし、日本の伝統や習慣を旧約聖書と照合しますとすっきりします。

ヤコブの息子ヨセフは兄弟たちに裏切られ、エジプトに奴隷として売られていきますが、そこから身を興し、やがてはエジプトの宰相にまでなります。飢饉のためにヤコブ一族はエジプトに避難してきますが、ヨセフの計らいにより、エジプトの穀倉地帯の一角を与えられ、その地で400年間繁栄します。

しかし、ヨセフが仕えていた王朝が亡び、新しい王朝が出現しますと迫害を受けるようになり、奴隷のように扱われるようになります。そこに救世主モーセが登場し、出エジプトが始まります。この物語は出エジプト記にある通りです。出エジプトする日が新年となるように定められます。「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ」(出エジプト12:2)

エジプトの王パロはユダヤ人の出国をなかなか認めてくれませんでしたが、エジプト全土の全ての初子が神の裁きによって殺されるという事態になって初めて出国を認めます。しかしユダヤ人は神の言いつけ通り、入り口の2本の柱に羊の血を塗っていたおかげで守られます。これが過ぎ越しの祭りの始まりです。

この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。あなたがたは七日間種を入れないパンを食べなければならない。その第一日目に、あなたがたの家から確かにパン種を取り除かなければならない。(出エジプト12:14、15)

イースト菌が全て取り除かれるほどに家の大掃除をしなければならないということから、大みそかの大掃除が始まったのではないかと考えます。そして、7日間は種入れぬパンを食べなければなりませんでした。日本では正月7日間、餅を食べ、7日目に七草がゆにします。エジプトにいる時は奴隷であり、出エジプトしたら自由の身になりました。だから全てが一新し、めでたいのです。出エジプト記を読むと、お正月の意味がよく分かります。

古代イスラエルでユダヤ人が神殿にパンを供えることは当然のことでした(2歴代誌13:11)。ユダヤ人たちが日本にやってきたとき、種入れぬパンの代わりに餅をささげたのが、各家庭で床の間に餅を供える始まりだと思えば納得がいきます。

日本のお正月にはアジアの近隣諸国にはない習慣や伝統がありますが、古代ユダヤ人が渡来してきた時の名残だと思えば理解できるのではないでしょうか。はるばると東の果ての国に来たのに、自分たちの信仰をはっきりと表明できない事情がありました。何とかして自分たちの思いを子孫に伝えたい思いが正月行事に反映していると考えてみるのはいかがでしょうか。

私たちの生活の習慣や伝統から先人たちのメッセージをくみ取り、聖書の教えに立ち返り、キリストの福音を高らかに宣言していくことが、新しい時代の幕開けにふさわしいのではないでしょうか。

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。(ヘブル12:1)

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穂森幸一

穂森幸一

(ほもり・こういち)

1973年、大阪聖書学院卒業。75年から96年まで鹿児島キリストの教会牧師。88年から鹿児島県内のホテル、結婚式場でチャペル結婚式の司式に従事する。2007年、株式会社カナルファを設立。09年には鹿児島県知事より、「花と音楽に包まれて故人を送り出すキリスト教葬儀の企画、施工」というテーマにより経営革新計画の承認を受ける。著書に『備えてくださる神さま』(1975年、いのちのことば社)、『よりよい夫婦関係を築くために―聖書に学ぶ結婚カウンセリング』(2002年、イーグレープ)。

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