2022年4月28日11時48分

すみれ時計(4)真夜中の公園 星野ひかり

コラムニスト : 星野ひかり

すみれ時計(1)結婚前夜 星野ひかり

夫との暮らしが始まって、早1週間がたっていました。夫は、私を守ることを生きがいとし、私を幸せにすることを自分の使命と神様から受け取っていた、それは珍しいほどに、献身的な人でありました。私のために毎朝早く起きて仕事の支度をし、黙々と働きに出てくれました。

新しい生活を始めるにあたって、私は初めの数日はほとんど寝ずに、新居の片づけにとりつかれておりました。夫はそれを心配して「少しは休むように」と口を酸っぱくして言いました。それでも、新しい家に自分の心がしっくりと落ち着くまで、片づけの手を休めることはできませんでした。ようやく3日目に、自分の家と思えるほどに家具の配置から照明の明るさまでも調節し終わり、私は倒れるように眠りました。

朝5時に起きる夫より1時間早く起きて、キッチンテーブルで手を組んで神様との交わりの時を持ちました。そして料理に取り掛かり、パンとスープといった簡単な食事を準備しました。テーブルには小さな花瓶。季節の花を飾りました。淡いピンク色に縁取られたような甘い日々が、幕を開けるようでした。

夫の優しさは、結婚してなお増し加わり、私を労わり、私を気遣い、まるで父親のように世話好きでした。しかし、そんな幸せな生活であるというのに、私は真夜中になると、そっと家を抜け出しました。

夫の寝息が深くなった頃に、そろそろと寝室を抜け出して、近くの樹木の生い茂る公園へと行くのです。引っ越してきたばかりの町の木々も、私を待っていてくれたように、細い枝で手招いて優しく迎えてくれました。私はベンチに座り、樹木たちに呼びかけました。

「ただいま」。それから、小さく歌いました。

♪花の世界に行きたいと 願って夜に飛び出した
木々の湿り気の中に
青々とした葉は 先ほどまでの雨粒に潤って
うれしそうに育って 空に伸びていく
私に語り掛ける 木々の隙間の月も
月光の光が 木々を照らし、花を照らし、白く白く光って
お話ししてくれた
その世界が呼んでる
木々が、花が、土が呼んでる
帰ってきていいよ、おいでって呼んでる
私はいつでも還ってゆく、大切なふるさと♪

樹木たちもさわさわと一緒に歌ってくれました。花壇に咲く野花たちも楽し気です。

月はすべての色を内包した白色で発光して、それらすべて地に生きるものを照らそうとしてくれているよう。私はどこかしら居心地の悪さを感じていました。めらめらと燃えたぎるかまどの中を生きてきた、そんな確信がありました。夫との暮らしはまるで平和を絵に描いたような暮らしであって、「センソウはとっくに終わったんだよ」そう小ばかにされているような気がしていました。

「おいでなさい」と、声がします。あたりを見回すと、すみれ色をしたすみれ時計が現れて、私を記憶の旅にいざなおうとしていました。

私はその針のさかのぼるのをじっと見つめ、「行くわ」とささやき、すみれ時計の中に入っていったのです。たくましい手が見えます、私はその手をつかみました。その手はイエス様の手。私のくすしいこの人生を、すべてご存じであるお方です。

*

私は、入院生活の規律も、規則正しさも楽しんでおりました。ですから2カ月目に、実家への外泊許可が下りました。私は2カ月ぶりに、表に出たのです。迎えに来た母親は「食べたいものはある?」と聞き、私のリクエストにすべて応えて夕食の支度をしてくれました。私は自分の部屋に久しぶりに入りました。カーテンの閉ざされた蒼い部屋。ドアを閉めたとたん、長らく切り離されていた私の宇宙が広がって、包んでくれるようでした。私はエレクトーンの前に座り、久しぶりに鍵盤を奏でました。それは夢中に弾いていたので、母親のご飯の支度もとうに済むまで、弾き続けておりました。

入院生活をあれほど楽園のように思っていたというのに、自由とはなんと甘美なものでしょう。冷蔵庫を開け、冷えた麦茶を取り出してごくごくと飲み干します。新鮮な冷たい飲み物をいつでも飲めること、なんて素晴らしいことでしょう。

久しぶりの自分のベッドは、自分の肌と溶け合うような柔らかいガーゼの布団です。病院の硬い綿の布団にはもう寝たくないと思いました。手の届くところにエレクトーンがあり、いつでも音を奏でられます。それにこの部屋の窓からは、遠くに大好きな団地群と夜ごとに月がよく見えるのです。何よりも、好きなときに外に出ることができ、季節の花たちや街路樹たちにあいさつをして、歩くことができるのです。

週に3度、決められた時間にお風呂に誘導してくれる優しい看護師さんはいませんから、またお風呂はずぼらになるでしょう。あのおいしくバランスの取れた食事も摂れなくなるでしょう。古くからの友達のような入院仲間とも、もう一生会えないかもしれません。それでも自由とはあまりに素晴らしく、病院に戻ることは考えられなくなりました。

私は親を説得して、どうか退院させてほしいと願いました。親もかわいそうに思ったのでしょう。その旨を病院に伝え、私は家に戻ることができたのです。その代わりに主治医からは、病院の作業療法に通うようにと約束を取り付けられました。

入院中に、ずいぶん薬は増えていました。父や母はその量をとても心配していたことを覚えています。おいしい食事と、ホルモンや食欲に影響を及ぼす薬、運動障害の薬の副作用も相まって、私は退院後、20キロ近く体重が増えておりました。その姿がやりきれないほど嫌でしたが、退院すればすぐに痩せると、安易に考えておりました。

作業療法には体操のクラスもあると聞きました。そのクラスに通って、ダイエットに励み、また先生にお願いして、減薬をお願いしようと思いました。しかし、なぜでしょう、どんなに食事を制限しても、一向に体重は減りません。運動したくても、体がだるくて動きません。リンゴしか口に入れなくなっても、体重は減る兆しを見せることはありませんでした。

頭に黒い幕がゆっくりと下りていくように、思考に悪魔が忍び寄るように、私は前向きな気持ちを持てなくなっていったのです。予定していた体操のクラスがあり、母親が車を出す準備をしても、起き上がることはできません。

‘こんな体でみっともない’
‘誰かに見られたら笑いものにされるだろう’

私の四肢は、そんな思いとともに、鉛のように重たくなってゆきました。

‘精神病で’
‘デブでブス’
‘学歴もなく’
‘仕事もなく’
‘親がいなければ生きてもいけない’
‘引きこもり’

インターネットの掲示板をまばたきもせずに見つめていました。そこには私と同じような気持ちを持つ人が、それはたくさん集っており、「死にたい」「今日こそ決行する」「また失敗した」とつぶやき合っていたのです。皆に共通した思いがありました。

「こんな自分は、生きてはいけまい」
「‘見えない『なにか』に’殺される前に、自ら尊い死を選ぼう」

じりじりと壁際に追い詰められた袋小路のネズミのように、震えながら刃を握り、それで自分を傷つけては、報告し合い、慰め合っておりました。いつも書き込みをしていた人が、ぽつり、ぽつりと消えてゆきます。

「私も死のう」。その思いは日増しに強くなってゆきました。もう、起き上がる力も出ませんでした。仰向けに寝そべる私の目の先には、ギロチンの刃がぶら下がっているのが見えました。この刃が落ちて、死ぬことができたなら。そんなことを日がな一日思い続ける、長い時が始まりました。

まるで悪魔が一歩一歩忍び寄るように、私の心は暗やみで支配されてゆき「死」の甘い誘惑に誘われるようになりました。

「死のう」「死のう」。そんなことばかり考えているうちに、(死んだらどこに行くのかしら)そんなことも考えるようになりました。そして私は通販で、いろいろな本を取り寄せて読み始めたのです。何もやる気が起きなくても、「死」に関することならできました。

すみれ時計の中で、そんな、私の中のじくじくとした傷を見つめていました。イエス様にしっかりとしがみついて、見つめました。「こうやってあなた様は、すべてを準備されていました。このときは何も分からずとも、神様のご計画の中に生き、神様のまなざしの中にありました」。そう言って私は涙をつつと流しました。イエス様からは甘い蜜のような土埃の香りがします。その香りはまるで、この世界の基に根を張るようなたくましい樹木の香りのようでもありました。

「この世界の礎が据えられたときから、すべては記されておられたのですね」。そう言ってイエス様の釘の痕を見ました。私の名が刻まれた、その釘の痕を。

イエス様はただじっと寄り添っておりました。しかし、すべて分かってくださっている、そんな甘い安堵がありました。

*

ふと気が付くと、私は公園のベンチの上におりました。顔を上げると、白い月が細く光って語り掛けてくれました。

「いつでもここにおいで、しかし今日は帰りなさい」。それはいつも私たちを照らしてくださる、イエス様のささやきのようでした。

そうして私は夫の寝ている寝室へと帰ってゆくのです。夫は寝ぼけ眼で、「おかえり」とほほ笑んでくれました。

「ただいま」。私は、大好きなガーゼの布団に潜りました。(つづく)

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星野ひかり(ほしの・ひかり)

千葉県在住。2013年、友人の導きで信仰を持つ。2018年4月1日イースターにバプテスマを受け、バプテスト教会に通っている。

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