2020年2月15日20時03分

なにゆえキリストの道なのか(234)祈りは呪文と同じ? 正木弥

コラムニスト : 正木弥

祈りは呪文と同じではないのか。

呪文はのろいの言葉です。相手が何か不幸な状況になるように求める言葉です。悪意、敵意が土台にあります。これに対して“祈り”は真実なる神との会話です。畏れと愛とをもって遠慮なく、自分の心の中にあることを申し上げる言葉です。願いだけでなく、感謝や賛美や告白もあります。とにかく、神への(悪意ではなく)真実の言葉です。祈りは神から喜ばれますから、「絶えず祈りなさい」(1テサロニケ5:17)と勧められています。

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正木弥

正木弥

(まさき・や)

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

【正木弥著書】
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)
『創造論と進化論 〜 覚え書 〜 古い地球説から』
『なにゆえキリストの道なのか』

【正木弥動画】
おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』特設ページ