2020年1月4日06時33分

なにゆえキリストの道なのか(228)立派な人でないので教会には行きづらい? 正木弥

コラムニスト : 正木弥

立派な人でないので教会には行きづらい。(反対に)教会にはいやな人、欠点の目立つ人がいるから行きたくない。

外見は立派に見える人も、内実は罪人です。外見はいやな人ももちろん罪人です。人は外見によらない、みな内心に罪を持った存在なのです。それを外にはうまく隠せる人と表してしまう人の違いです。外見はすましていても、みな内側には強烈なエゴを持っています。それが時々垣間見えますが、それが外に出るのをうまく抑えられる人と、そうできずについ出てしまう人との差です。

高慢であったり、感謝を知らない人であったり、時々は憎しみやねたみにとらわれたり、奥ゆかしさに欠けたり、デリカシーが欠けたり、他者の心の痛みに気付かなかったり、自分の利害や都合に強くとらわれたり・・・教会に来ている人も本質は一般の人と同じです。違うのは、じっくりと話し合えば、それが良くないことだという認識を共にすることができるくらいです。それは究極のところ、聖書の教えに従うことで一致するからです。

しかし多くの場合、話し合いはなるべく先送りして、一般的な聖書の解き明かしや信徒同士の一般的な会話の中で本人が気付いて、直してくれることを待っています。それまでの間、傍らにいる人は我慢して付き合う、あるいは見ているわけです。付き合い(交わり)は、多くは我慢の連続です。そのような中から我慢する側の人も、愛とはどうあるべきかを学んでいるのです。

教会とは、いろいろな人がいて、その人と人との交わりによっても研がれ、聖(きよ)められ、愛において成長する所です。教会は天国ではありません。

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正木弥

正木弥

(まさき・や)

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

【正木弥著書】
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)
『創造論と進化論 〜 覚え書 〜 古い地球説から』
『なにゆえキリストの道なのか』

【正木弥動画】
おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』特設ページ