2019年12月5日20時07分

新・景教のたどった道(22)唐代の漢訳書・その1『序聴迷詩所経』(3)イエスの洗礼記事 川口一彦

コラムニスト : 川口一彦

メシアの洗礼式に関する漢訳記事を紹介します。

述難(ヨルダン川)の浄い所で、名前を谷昏(洗礼者ヨハネ)に向かい、湯谷(水の中)に入り(洗礼を)受けました。はじめ弥施訶(メシア)は聖(ヨハネ)に弟子として伏しました。

聖ヨハネは岩間(荒野)に住み、生まれながら酒も肉も口にせず、ただ野菜と蜜で暮らしていました。民衆はヨハネに向かって礼拝し、受戒(弟子である表現)していました。ヨハネは弥師訶を多難(ヨルダン川)の中に入り洗いました。

弥師訶は湯に入ってから水を出ると、涼風(聖霊)が天から下られるとお顔形が薄閤(ハト)に似て、弥師訶の上に坐られると空から声がしました。「弥師訶は私の子です」と。世間の民衆はみな、弥師訶に従いました。これにより皆は良い行いをするようになりました。

弥師訶は「天尊(父なる神)の教えこそ天道(天国)に至るのであり、世間の教える神に仕えてはいけない」と語られると、聞いた民衆は世間の教える神から離れ、善い行いをしていきました。

この記事はマタイの福音書3章16節の要約のようで、漢語のヨルダン川が「述難」「多難」、メシアが「弥施訶」「弥師訶」と表記が不統一で、さらに聖霊の顔がハトに似ているとの用語も聖書とは違っています。さらに「天から来た」の「来」を「求」と誤記しています。

表記に誤記があることは、校正することもなく、聞いたままを書いていったのかと考えます。このような表記を見て考えられることの一つに、イエス・メシア伝の経典を作成する前段階のものではなかったかと考えます。

新・景教のたどった道(22)唐代の漢訳書・その1『序聴迷詩所経』(3)イエスの洗礼記事 川口一彦

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※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
旧版『景教のたどった道―東周りのキリスト教』

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川口一彦

川口一彦

(かわぐち・かずひこ)

愛知福音キリスト教会(日曜と火曜集会)ならびに名古屋北福音キリスト教会(水曜集会)の宣教牧師。フェイスブックで「景教の研究・川口」を開設。「漢字と聖書と福音」「仏教とキリスト教の違い」などを主題に出張講演も行う。書家でもあり、聖書の言葉を筆文字で書いての宣教に使命がある。大学や県立病院、各地の書道教室で書を教えている。基督教教育学博士。東海聖句書道会会員、書道団体以文会監事。古代シリア語研究者で日本景教研究会代表。特に、唐代中国に伝わった東方景教を紹介している。著書に『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』など。