2019年5月11日21時15分

なにゆえキリストの道なのか(194)お金を追い求めてもいい? 正木弥

コラムニスト : 正木弥

お金があれば、ない人よりも大体は幸福である。だから、お金を追い求めてもいいではないか。

お金がない人は、欲しいモノやサービスが受けられず、不自由な思いをしたり、機会を逸したり、苦しさ・つらさを忍ばねばならないことが多い。時には辱めを受けてもガマンを余儀なくされることもある。また時には、競争場裡で不利になったりもするでしょう。だから、お金を追いかけるわけです。

ただし、少しお金ができて裕福になると、心の底で高慢になりやすく、どうかすると貧しい人たちを見下げたりしがちで、その人のためによくないですね。また、お金により頼んで、神様の恵みに気付かなくなりますが、これも一層よくありません。さらに、お金があっても、自分の妻や息子・娘と心を通わせることすらできないときもあります。愛とか生きがいとか人生の目的とかはお金で買うことができないのです。こうした人は、お金があっても幸福とはいえませんね。

お金よりも、人生でなくてならぬものをまず求めるべきではないでしょうか。それは、愛に溢れた人間関係、なかんずく温かい家族、生きがいある(広義の)仕事、誠実で責任ある生き方などです。そうしたものを持っている人は大体が幸福です。そうしたものを得るには、キリストを信じることが大変有効です。

お金は追い求めたら必ず与えられるものでもありません。「金は天下の回りモノ」との言い方があるでしょう。聖書に「主(神)は、貧しくし、また富ませ、低くし、また高くする」と(1サムエル2:7)。事をなすのは神です。お金や富は、神を信じる正しい堅実な生き方をすれば、必要に応じて神が与えてくれるものです。

逆に、「金銭を愛する者は金銭に満足しない」(伝5:10)。金銭は人を貪欲にする。富は心を忙しくし、落ち着かなくします。富が所有者に害を及ぼすことすらあります。だから、「富を得ようと苦労してはならない。・・・富は必ず翼をつけて、鷲のように天へ飛んで行く」(箴言23:4、5)。

ですから、「たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように」(1テモテ6:17)というのが結論でしょうか。

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正木弥

正木弥

(まさき・や)

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

【正木弥著書】
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)
『創造論と進化論 〜 覚え書 〜 古い地球説から』
『なにゆえキリストの道なのか』

【正木弥動画】
おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』特設ページ