2018年11月29日11時00分

心の通うあいさつ 穂森幸一(119)

コラムニスト : 穂森幸一

また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。(マタイ5:47)

初めて米国を訪問し、ホームステイしていたとき、私が最初に英語に接したときのことを聞かれました。私が小学校から中学校に進むとき、英語という新しい教科があることを知り、緊張したことを話しました。

英語の教科書に載っていた、「This is a pen. I am a boy.」を必死に覚えたということを伝えました。そうすると、「これはペンだということも、自分は少年ですということも見れば分かります。英語を言語ではなく、記号として教えているような気がします」と言って、笑われた記憶があります。

言語は人と人を結び付けるものだから、最初はあいさつを学ぶべきだと言われました。「Hello. How are you? Nice to meet you.」「こんにちは。お元気ですか。お目にかかれてうれしいです」を覚えて口にすれば、嫌がる人はいないし、心も通じると言われました。

旅行中に日曜礼拝に出ようと思って、見知らぬ街で初めての教会を訪ねたことがあります。慣れない教会でしたので、戸惑っていると、いきなり「あなたはイエス様を信じていますか」と声を掛けられてびっくりしたことがあります。

「おはようございます。いらっしゃいませ。ありがとうございます」と迎えられたら、もう少しスムーズに教会に入っていけるかもしれないと思います。「私はクリスチャンです」と答えますと、「どこの何派の教会に属していますか。いつどこで洗礼を受けましたか」と身元調査ですかと言いたくなるようなことを尋ねられて戸惑ってしまったこともあります。

あいさつという言葉には「心を開いて気持ちを通わす」という意味もあるということを聞いたことがあります。気持ち良いあいさつができれば、心の交流もできるのではないかと思います。

イスラエルの聖地旅行に行くと、ユダヤ人地区とアラブ人地区にはっきり分かれているのに驚きます。どの地区に行ってもその方々の言語であいさつとお礼は述べるようにしました。ユダヤではヘブル語が用いられていますが、あいさつはすべて「シャローム」「平安がありますように」です。アラブの人も「インシャラ」と言っていたと思いますが、同じ「平安、平和」という意味だそうです。

同じ「平和」という言葉を毎日、口にしながら、なぜ対立しているのか複雑な気持ちになりました。一般庶民は平和志向なのに、政治に振り回される面があるのかもしれません。

「ありがとう」と言われて嫌がる人は誰もいません。もし外国に行く機会があれば、その国の「ありがとう」という言葉を覚えたほうがいいと思います。ユダヤ人地区では「ツダ」、アラブ人地区では「シュクレン」と言うように心掛けました。

日本の社会に武士道の精神は大きな影響を与えています。武士道では、礼節、礼儀作法はとても大切なことです。あいさつはとても大切なことで、はっきりとした言葉であいさつを述べるというのは礼節の基本です。

日本の教会では宣教の熱意とか祈りの重要性が強調されます。同時に、武士道の精神も生かし、礼儀作法やあいさつの実践を学ぶことも大切だと思います。武士道の精神について外国の方がとても関心を持っています。

信仰の父と呼ばれるアブラハムはあいさつのできる人であり、もてなしのできる人でありました。いつも旅人を温かく受け入れ、もてなすようにしていたら、知らない間に神の使いをもてなしていたという話が聖書にあります。武士道の精神を持つクリスチャンとは、もてなしのできる人ではないかと思います。

兄弟愛をいつも持っていなさい。旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。(ヘブル13:1、2)

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穂森幸一

穂森幸一

(ほもり・こういち)

1973年、大阪聖書学院卒業。75年から96年まで鹿児島キリストの教会牧師。88年から鹿児島県内のホテル、結婚式場でチャペル結婚式の司式に従事する。2007年、株式会社カナルファを設立。09年には鹿児島県知事より、「花と音楽に包まれて故人を送り出すキリスト教葬儀の企画、施工」というテーマにより経営革新計画の承認を受ける。著書に『備えてくださる神さま』(1975年、いのちのことば社)、『よりよい夫婦関係を築くために―聖書に学ぶ結婚カウンセリング』(2002年、イーグレープ)。

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