2018年10月27日22時14分

なにゆえキリストの道なのか(166)神は人間の言動をすべて考慮して裁くのか? 正木弥

コラムニスト : 正木弥

神は人間の言動をすべて考慮して裁くのか。

神は全知の能力により、一人一人が歩んできた全人生を過去も現在も知っておられ、かつ記録しておられます。あたかも、現代のビデオテープのごとく、きちんと再現できるよう、忠実に記録されているようです。

人が誰かのために人知れずガマンしたことも、人知れず払った犠牲のことも、神様のために人知れずしたことも、しなかったことも、神はすべて知っておられ、また記録しておられるようです。もちろん、密かにした汚れた事や悪も、心の中で思い描いた憎しみや怒り、悪意、恥ずべき思いや言動も、です。

主の前で、記憶の書がしるされた。(マラキ3:16)

これらは、主の裁きの時に活用されます。神の裁きは気まぐれ的ではなく、場当たり的でもありません。きちんとその人生の言動の全体を見てなされます。神のもとにある正確な記録に基づき相応の罰、相応の果報(良い報い)を与えるのです。

私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになる。(2コリント5:10)

しかし、キリストの十字架の死を自分の罪の身代わりだと信じる者は、罰が済んだものとして扱われ、従って“相応の罰”はなくなり、天の御国へ入れられるわけです。キリスト信仰の有り難さはここにおいて極まるのです。

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正木弥

正木弥

(まさき・や)

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

【正木弥著書】
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)
『創造論と進化論 〜 覚え書 〜 古い地球説から』
『なにゆえキリストの道なのか』

【正木弥動画】
おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』特設ページ