2018年10月14日20時01分

ブーゲンビリアに魅せられて(10)前向きに明るく生きる―厳しい暮らしの中で 福江等

コラムニスト : 福江等

ブーゲンビリアに魅せられて(10)前向きに明るく生きる―厳しい暮らしの中で 福江等
マニラの神学校の校舎を背景に学生たちと共に=2004年8月

マニラの神学校の学生たちの中に、特に厳しい状況に置かれている人たちが少なからずいることは、すでに前回書いた通りです。にもかかわらず、前向きにひたむきに歩んでいる人たちから、多くのことを学ばされます。

今回ご紹介したい学生(当時)は、オーラン・バントックというフィリピン人の学生です。彼は、私の教えていた教科をほとんどすべて取りました。どのクラスでも彼は精いっぱいの努力をして、自分の持てる力をすべて出していました。クラスでの発表の時には、準備を十分していることがうかがえました。

しかし、彼には身体的に弱いところがあり、特に学期の終わり頃になると、よく体を壊していました。十分栄養のある食事をしていなかったのかもしれません。病気になって入院している彼の所に、ほかの学生たちを連れて何回か見舞いに行きました。

体は衰弱し切っているし、設備も万全とはとても言えない病院のベッドの上で、彼はよく冗談を言っては笑顔を振りまき、周りの人を笑わせていました。

退院の時、彼の自宅まで妻と一緒に送っていったことがあります。初めて彼が、どんな所に住んでいるのかを知ることになりました。雨の後でぬかるんだ道で靴は泥だらけになり、街灯のない真っ暗い中をやっとのことでたどり着いた所は、台風でも来ればすぐにでも飛ばされてしまうだろうと思われるような、簡素な家でした。

彼には5、6人の弟妹がいました。父親はすでに亡くなっており、体の小さいお母さんがいましたが、病気がちでした。家族はみな、オーラン君を頼みの綱にするほかありません。

その後、オーラン君は無事卒業し、マニラ市内のコールセンターに仕事を見つけることができ、現在はお母さんと弟妹たちを養っています。彼の目標である牧師としては立つことができていませんが、しかし、そうやって家族を養っている彼を見ると、立派に神の働きをしていると思えてなりません。

彼は讃美歌が大好きで、よくチャペルで音をはずしながら、おどけた顔で独唱をしていました。いろんな意味でハンディを背負いながらも、前向きに明るく生きる彼の心の中に、神の愛が息づいていることが伝わってきます。彼を見ていると思わず拍手で応援したくなるのです。

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福江等

福江等

(ふくえ・ひとし)

1947年、香川県生まれ。1966年、上智大学文学部英文科に入学。1984年、ボストン大学大学院卒、神学博士号修得。1973年、高知加賀野井キリスト教会創立。2001~07年、フィリピンのアジア・パシフィック・ナザレン神学大学院教授、学長。現在、高知加賀野井キリスト教会牧師、高知刑務所教誨師、高知県立大学非常勤講師。著書に『主が聖であられるように』(訳書)、『聖化の説教[旧約篇Ⅱ]―牧師17人が語るホーリネスの恵み』(共著)、『天のふるさとに近づきつつ―人生・信仰・終活―』(ビリー・グラハム著、訳書)など。

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