2018年9月15日21時12分

なにゆえキリストの道なのか(160)ざんげは神父様にしなければならないのか 正木弥

コラムニスト : 正木弥

ざんげは神父様にしなければならないのか。

「ざんげ」と言おうと「告白」と言おうと「悔い改め」と言おうと、それらは、神に対して罪を犯したことを悔い、「二度としない」という決心をすることをいいます。神に対してすることであって、第一次的には、人に対してすることではありません。ですから、神父と呼ぼうと、牧師と呼ぼうと、教職者に対してする必要はありません。してもかまいませんが。

大事なことは、神父も牧師も人間と神の間に立って罪の赦(ゆる)しを宣告できる立場にはなく、資格もないということです。「償い」を命じることもできません。信徒はみな祭司と同じ立場にあり、直接、神とキリストの前に出ることができるのです。これを万人祭司の原則といいます。宗教改革で確認されたものです。

聖書では、罪を犯したアカンに「わが子よ。・・・主に告白しなさい」(ヨシュア7:19)と示されていますし、ダビデは「私のそむきの罪を主に告白しよう」(詩篇32:5)と述べています。ざんげ、告白、悔い改めは、神(主)に対して、真実にすることが大切です。

<<前回へ     次回へ>>

◇

正木弥

正木弥

(まさき・や)

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

【正木弥著書】
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)
『創造論と進化論 〜 覚え書 〜 古い地球説から』
『なにゆえキリストの道なのか』

【正木弥動画】
おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』特設ページ