2017年11月18日06時23分

なにゆえキリストの道なのか(118)キリストは2千年前の人、私に関係がない? 正木弥

コラムニスト : 正木弥

キリストは2千年前の人だ。私に関係がない。

キリストは、2千年前に単に生きた人ではありません。キリストは人類の救いのために(2千年前、この地上に来て)死に、そして復活しました。キリストはその後、天に昇られ、今は神の右におられ、全世界の歴史を導き、一人一人の人生を見ておられます。必要な導きをしておられます。

そして、終わりの時に再び現れ、正しい裁きをされます。その時、この世の人生でキリストを信じて神の子とされている者は天の御国に入れられますが、キリストを信じていない者は、自分の罪のために神に受け入れられず、肉体の死とともに滅びの過程に行くのです。

私に関係がないどころではありません。私たちすべての人間の生殺与奪(滅びか救いか)はキリストにかかっているのです。救われたい人、すなわち天国に行きたい人、永遠の命に生きたい人は、キリストを信じ、希望をおくべきです。このことが一人一人の人生にとっても最重要事なのです。

イサクという人に双子の兄弟がいました。兄エサウは、人はよいが即物的な考え方をする人、弟ヤコブは、少しずるいが深謀遠慮型の人でした。ある日、兄エサウが猟で疲れきって、大変お腹を空かして帰って来たところ、弟ヤコブがおいしそうな料理を作っていました。

エサウはヤコブに、「俺は飢え疲れているんだ。その料理を食べさせてくれ」と頼みました。すると、ヤコブはちょっと考えて、そしてふっかけ気味に言いました、「兄としての権利を僕に売ってくれたら食べさせてあげるよ」と。

兄としての権利の大きな意味は、親の跡を継ぐ場合に弟よりも優先される権利でした。エサウはよく考えもせずに、「そんな権利は遠い先のこと。それに、具体的にどんな利益があるのか分からないものだ。それより、今、俺はお腹が空いて、死にそうだ。今の俺に何になろう!」。それで「よし、売ろう。その代わりその料理を食べさせてくれ」と言いました。

エサウは目前の欲しいもののために(今はどっちでもいいように思えるが)、少なくとも相続の場合には重大な価値があるものをないがしろにしたのです。愚かだったと思いませんか。事実、これがため、エサウの子孫、エドム民族は徐々に正統から外れ、ヤコブの子孫ユダ民族に支配され、征服されるに至りました。「エサウのように目先のことだけにとらわれたり、俗悪な者になってはいけません」と警告されています。

現代に生きる皆さんも、目先の欲望(地位や名誉や虚栄、財産や快楽の生活等々)ばかりを求めて、大事な神の祝福、神の相続人としての権利をないがしろにしてはいないでしょうか。天の御国、永遠の命にあずかる権利を捨てていませんか。これらは私たちの存在意味に関わる大事なことなのです。

そのためには、2千年前に来て、十字架の上で死に、復活し、今は天で神と共におられるキリストに(無関心にならず)関心を持ち、大事にし、いや、信じて生きましょう。

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正木弥

正木弥

(まさき・や)

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

【正木弥著書】
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)
『創造論と進化論 〜 覚え書 〜 古い地球説から』
『なにゆえキリストの道なのか』

【正木弥動画】
おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』特設ページ