2017年8月26日06時36分

なにゆえキリストの道なのか(106)さばかれるなら、生まれてこない方がよかったのでは? 正木弥

コラムニスト : 正木弥

みな罪を犯す。そして、それがさばかれるなら、生まれてこない方がよかったのでは?

「罪を犯したなら必ずさばかれて、必ず滅びる」というのであれば、そういう議論も成り立つかもしれません。しかし、その前提に問題があります。

人が罪を犯した場合でも、神は、人が救われる道を用意してくださったのです。それは、御子イエス・キリストが身代わりの刑罰である“十字架の死”を受けてくださったので、このイエスを信じる者は罪を赦(ゆる)され、神の子とされ、永遠の命に生きることができる、というものです。

それは格別に難しいことではありません。生まれてきた人はみな、イエスの十字架・復活を信じれば、神の子とされるのです。そして、永遠の命に生きるのです。それは大いなる恵みでありますが、もちろん、生まれてきたからこそ(曲折はあっても)あずかることができる恵みであります。強情になって神とキリストを否定したり、無視することはやめましょう。

ただし、イエスを裏切ったイスカリオテのユダのように、重大な罪を犯して赦されない場合がないことはないようです。「そういう人は生まれなかった方がよかったのです」とイエスに宣告されました。特殊な例でしょう。

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正木弥

正木弥

(まさき・や)

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

【正木弥著書】
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)
『創造論と進化論 〜 覚え書 〜 古い地球説から』
『なにゆえキリストの道なのか』

【正木弥動画】
おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』特設ページ