2017年4月9日08時04分

なにゆえキリストの道なのか(86)女が男のあばら骨から造られたことを説明してほしい 正木弥

コラムニスト : 正木弥

女が男のあばら骨から造られたことを説明してほしい。

神は、人をご自身のかたちに創造されましたが、その創造の仕方は創世記2章に詳述されています。

まず、材料は土地のちり(すなわち、地上の小さい物質)で「人」を形造り、そして、その鼻にいのちの息を吹き込まれたとあります。その後、「女」を造ることになりました。その際、人と同じように、再度、土地のちりから形造っていのちの息を吹き込んで造ることもできたのですが、神は、「人」の一部から「女」を造り出すことをよしとお考えになり、残りの部分を「男」に仕上げた、と思われます。

人のあばら骨も元は土地のちりからできています。そのあばら骨から女が造られたのですから、女も(間接的ではあるが)土地のちりから造られたものになりました。そして、人に吹き込まれたいのちの息を女も引き継ぐ者になったのです。このようにして、男と女の一体性・同一性を大事にされました。男も女も結局は同じもの(土地のちり)で神のかたちに似た者に造られました。

つまり、➀ 男と女の基本的同一性を確保し、➁ 男も女も、人に吹き込まれている「いのちの息」を受け継いで、神のかたちに似た者とせられる。この2つの要請から、人のからだの一部によって女を造ろうとされたようです。

では、そのからだの一部が「骨」であったのはどうしてか。それは、骨が骨髄を持っており、その骨髄が造血機能を持っていたからではないでしょうか。血はいのちだと見られています(創9:4)。そのいのちが男も女も同じものである必要があったためでしょう。

次に、その骨があばら骨であったのは、女が男を支配することがないよう頭の骨からでなく、男が女を踏みにじることがないよう足の骨からでなく、男が女を振り回すことがないよう手の骨からでなく、男と女が共にあるためその脇から取り、女が男に保護されるようその腕の下から、また、男に愛されるためにその心臓の近いところの骨からでありました。(聖書学者マシュー・ヘンリー)

からだの一部から全体を造ることについては、神がなさったことですから、あり得ないことではありません。最近の研究によれば、扁形(へんけい)動物のプラナリアは、からだを幾つかに切り刻んでもそれぞれが元のような成体に成長するが、それは全能性幹細胞があらゆる細胞に変化して再生し続けるためだそうです。決して、非科学的なあり得ない話ではありません。

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正木弥

正木弥

(まさき・や)

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

【正木弥著書】
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)
『創造論と進化論 〜 覚え書 〜 古い地球説から』
『なにゆえキリストの道なのか』

【正木弥動画】
おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』特設ページ