2017年4月3日07時53分

まことの喜び(35)へりくだって、神様と共に歩む イ・ヨンフン

コラムニスト : 李永勲

「主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに步むことではないか」(ミカ6:8)

「へりくだりなさい」というのは、静かに過ごしなさいという言葉ではありません。しばしば、足で踏みにじられる踏み台のように生きるのが、人々は謙遜だと誤解します。謙遜とは、そのように踏みにじられながら生きることではなく、私たちの元の姿通りに生きることです。すなわち、神様が創造された被造物という立場で生きることを言います。

私たちを創られた神様の前でへりくだるのは、ある意味当然のことなのでしょう。親の前で子どもが謙遜なのは当然だからです。しかし、子どもは親の踏み台となるわけではありません。子どもとして生きていくというのは、親に甘えたり、過ちを犯しても赦(ゆる)されるような人生を送ることです。

子どもらしさを保ちながら生きていくこと、それがまさに謙遜です。そのように父なる神様と楽しく過ごすのです。ここに私たちの幸せがあり、正義と平和があるのです。

そんな人生を先に歩んだ人がエノクです。エノクは、そんな謙遜な子どもとして神様と共に歩み、死ぬことなく天国に行きました。

「エノクは神とともに步んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった」(創世記5:24)

主と共に歩めば、それが喜びであり、恵みであり、天国です。従って、常に主と深い交わりを持つことが重要です。祈り、賛美、御言葉をもって聖霊の中で主と交わりを持たなければなりません。祈るごとに、聖霊の感動によって恩寵(おんちょう)に浸り、神様の祝福が臨むようになります。賛美ごとに、心が感動に溢れ、喜びと感謝が満ち溢れるようになります。御言葉を読み、黙想し、聞くごとに、主の御声を聞き、驚くべき奇跡を体験するようになります。

聖霊様との交わりの中で、私たちに向けられた主の御旨が何かを常に分別するのは重要です。主との交わりが深くなればなるほど、さらにへりくだって神様にひれ伏し、その方の御声に耳を傾け、従う者になるからです。

正直、神様は私たちが有名人になることや、世の中で成功する人になることには大きくこだわっていません。私たちの方式で神様のことを考えているから、そうだろうと勘違いしているだけです。かえって神様は、毎日の小さいことをも主に尋ね、人生の小さなことにおいてもイエス様に似たいと願うその心にもっと関心を持っておられます。

ですから、私たちは人生において大変な業績を残し、結果を残すことよりも、それを成していく過程において主の子どもらしく行い、主と喜びを分かち合うのに努めなければなりません。小さなイエスとしての人生を生きなければなりません。

私たちがまことの幸せを味わうことができず、喜びと楽しさを味わいながら生きることができない理由は、常に意欲ばかりが先走り、謙遜を失ってしまっているからです。だから多くの場合において無理をしてしまうのです。

その中でも一番問題となる姿は傲慢(ごうまん)です。神様のいない成功を追求するのも、傲慢から始まります。富と名誉を追求するのは、何でもないように見えても、実は、霊的に私たちを病気にするとても大きな問題です。

私たちは、自らの力で成功するためにとても忙しくしています。それで私たちは、主と共に歩む喜びを後回しにします。これはサタンを手助けすることです。神様は傲慢な者を退かれ、へりくだった者を愛し、高くしてくださいます。

「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」(箴言16:18)

神様と共に歩むには、常に謙遜を身に付けなければなりません。どんな人生の実を神様にささげるべきか悩みつつ、常に神様の御前でへりくだって行うときに、神様と共に歩むことができるからです。

私たちは、神様が愛しておられる子どもです。子どもとして主と共に歩みつつ、主に似ていき、世の中に正義を現していくことこそ、私たちの成すべき使命です。へりくだって主と共に歩むこと以上に大きな祝福はありません。

(イ・ヨンフン著『まことの喜び』より)

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李永勲(イ・ヨンフン)著『まことの喜び』 2015年5月23日発行 定価1500円+税

李永勲(イ・ヨンフン)著『まことの喜び』

苦難の中でも喜べ 思い煩いはこの世に属することである

イエス様は十字架を背負っていくその瞬間も喜んでおられました。肉が裂ける苦しみと死を前にしても、淡々とそれを受け入れ、後悔されませんでした。私たちをあまりにも愛しておられたからです。喜びの霊性とは、そんなイエス様に従っていくことです。イエス様だけで喜び、イエス様だけで満足することを知る霊性です。神様はイエス様のことを指し、神の御旨に従う息子という意味を込めて「これは、わたしの愛する子」(マタイ3:17)と呼びました。すなわち、ただ主お一人だけで喜ぶ人生の姿勢こそが、神の民がこの世で勝利できる秘訣だということです。

(イ・ヨンフン著『まことの喜び』プロローグより)

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李永勲

李永勲

(イ・ヨンフン)

4代続くキリスト教家庭に生まれ、幼い頃から主日学校に通いながらヨイド純福音教会と深い関わりを持ってきた。延世大学、韓世大学、連合神学大学院卒業。米ウェストミンスター神学大学院修士課程を修了した後、米テンプル大学で宗教哲学修士と宗教哲学博士(Ph.D)取得。米国のワシントン純福音第一教会、日本のフルゴスペル東京教会、米国のLAナソン純福音教会の担任を務め、国際神学研究院院長、韓世大学教授、米ベテスダ大学総長、ヨイド純福音教会教務担当副牧師などを歴任。対外的には、韓国キリスト教教会協議会(NCCK)会長、韓国基督教総連合会(CCK)代表会長などを歴任した。現在、ヨイド純福音教会の2代目担任牧師として、チョー・ヨンギ牧師の牧会と霊性を継承・発展させながら、ペンテコステ聖霊運動と御言葉充満の調和、仕えることと分かち合うことの実践、世界宣教および教会連合運動などに力を注いでいる。著書に『The Holy Spirit Movement in Korea』『霊的成長の道』『小さきイエスの霊性1・2』『感謝の奇蹟』『信仰の奇蹟』(以上、全て韓国語版)、韓英対訳『十字架の恵み』など多数。訳書に『ペンサコーラ、奇蹟の現場―ブラウンズビル教会』『世界ペンテコステ・ホーリネス運動の歴史』など。