2017年3月30日13時16分

死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―(113)使徒の役割 米田武義

コラムニスト : 米田武義

今日メッセージで学んだことは迫害についてであった。迫害を受けたとき、「あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい」(マタイ5:11、12)と書いてある。これは誰が言ったのだろうか。イエス・キリストである。しかし、誰に言ったのだろうか。12弟子にである。イエス・キリストは民衆にではなく、12弟子に言われた。

「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」(マタイ26:39)

私から過ぎ去らせてくださいというのがイエス・キリスト、12弟子、私たち全ての共通の願いである。こう願うのが人間である。後半の、結果的にはあなたの御心に従いますので、御心通りになさってくださいと告白しているのは、神の主権を認めた者としての信仰である。が、その者は、その御心が迫害であった場合に、喜んで踊ることができるのだろうか。

正直、私たちにはできないように思う。極端に考えるならば、迫害され、殺されるのが最善なら、クリスチャンは全ていなくなり、非クリスチャンばかりになって、伝道どころではなくなってしまう。悔い改め、熱心なクリスチャンになり、皆殺されてしまうという図式を神は喜ばれるだろうか。

「神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ・・・』」(創世記1:28)

神は、祝福した人間の死滅することを望んでおられない。イエス・キリストは最も近い12弟子に対して、迫害を受けることを喜び踊りなさいと言ったのである。伝道の最初であり、ご自分1人、人間として働く場合の限度を感じられ、近い将来に天に召されることも分かっていたイエス・キリストにとって、12弟子は特別な存在であり、明らかに他の人々とは段違いの働きと使命を要求された。

だから彼らには、特別悪霊を追い出す権威を持たせ、身近に置き、福音を宣べさせたのである。私たちと同じ人間であるにもかかわらず。

「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ5:16)

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米田武義

米田武義

(よねだ・たけよし)

1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術国内留学生)で学ぶ。国土防災技術を退職し、米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』。