2016年11月19日00時53分

キリスト教から米大統領選を見る(20)福音派は超現実肯定主義者? 神への絶対信仰の「功」と「罪」(1)

コラムニスト : 青木保憲

ホワイトハウス
米首都ワシントンにあるホワイトハウス

トランプ次期大統領の動向に世界のマスコミが飛びついている。日本の首相や中国の国家主席と電話で会談したとか、今までの暴言は単なるフェイクだったのではとか、長女がとても美人で日本好きなため、在日大使として来日するのでは、等々。話題には事欠かないどころか、トランプ氏に関連付けてさまざまな話題が生み出されている感すらある。

映画コラムで「スター・トレック BEYOND」を取り上げ(関連記事:「スター・トレック BEYOND」から透けて見える「トランプ現象」!?)、そこでハリウッドのトランプ観を紹介したが、彼らのように一貫して反トランプを主張している者がいる一方、いつしか「実はいい人トランプさん」的な論調に変節してしまった者もいる。

特に日本のマスコミの取り上げ方は後者だ。先日も朝のワイドショーで、トランプ一家についてコメンテーターが「理想的な家族的結束ですね」と述べていた。政府関係者の談話として、「とてもまともな受け答えで感銘を受けた」という紹介もなされていた。今までの「アンチ・トランプ節」は、もはや両テレビ局には存在しないのだろう。

いずれにせよ、「トランプ新大統領」は来年1月に誕生することが確定しているため、米国では新大統領誕生を歓迎するムードが濃くなっていくであろう。確かに抗議デモや暴徒化した市民が話題となっている現在だが、トランプ政権誕生を受け入れざるを得ないだろう。大方は「トランプ氏のお手並み拝見」といったところである。

さて、前回は「トランプ支持の福音派」というくくりが果たして実際に機能しているかどうか、慎重に吟味しなければならないということを述べた(関連記事:キリスト教から米大統領選を見る(19)「トランプを支持した福音派」とは何を意味するのか?)。政治的な意味合いを持つ「狭義の福音派」か、定期的に教会へ通っているという程度の「広義の福音派」か。その違いは出口調査だけで測り知ることは難しいと述べた。

しかしだからといって「Evangelicals」がトランプ新大統領に関して、今後どのような傾向を示すかについて、全く予測できないというわけではない。むしろ用語としての「福音派」とは異なる、福音派のもう1つの側面を述べてみたい。

断っておくが、私は大きな意味での福音派(ペンテコステ派)に属する者であり、その流れにある教会で牧師をしている者である。当然、福音主義にのっとり、イエス・キリストの福音を伝えることを最優先事項としている。平易な言い方をするなら、福音派が大好きである。愛していると言ってもいい。そのことを前提として、以下の考察を読み進めていただきたい。

福音派は「現場主義・現実対応主義」

一般的に、福音派はキリスト教保守層だと言われているし、それは間違っていない。しかし徹底して保守(conservative)というのは、その主張が聖書の記述内容に即した理論的一貫性を保持しているという意味ではない。

このコラムを開始したときに、米国には2つの作用が常に働いていると述べた。1つは「統合作用」、もう1つは「変革作用」である(関連記事:キリスト教から2016米大統領選を見る(1)アメリカ合衆国を形作る2つのベクトル 青木保憲)。トランプ氏の言動、そして大統領選挙は「変革作用」として機能した。結果、新大統領が誕生したため「統合作用」が機能する番となった。戸惑いながらも、米国民は新たな国家最高指導者を受け入れる方向にシフトし始めている。

おそらくその牽引(けんいん)役となる(むしろ買って出る)のが、福音派となるであろう。米国がどちらの作用を求めているか、それを敏感につかみ取り、イニシアチブをとるために積極的に働き掛けるその手法は、教理教派主義とは全く逆の「現場主義・現実対応主義」である。

さて、このように現実対応する福音派の根底に何があるのか?私はこの概念を「聖書信仰(professing the Bible)」と呼んでいる。これを私は拙著『アメリカ福音派の歴史―聖書信仰にみるアメリカ人のアイデンティティ―』の中で以下のように解説している。

「福音派の歴史全体を貫く共通性が存在するとしたら、それは『絶対に正しく、間違いないものとして聖書を信じている』と告白してはばからないその姿勢である。これは論理的根拠や神学的考察によって導き出されるものではなく、聖書そのものを信仰対象として受け止める生き方である」(476ページ)

この世界に何が起こってもそれを肯定できる論理を聖書に見いだし帰結させる信仰

聖書を告白(professing)して生きる、これを生き方の指針とするなら、この世界に何が起こってもそれを肯定することに帰結させることになる。出来事が揺れ動くその過程で問題が起こっていたとしても、結果が出たとき、それを聖書に照らして肯定的に捉え、乗り越えていくことになる。

時流がどの方向へ進んでいるか、多くの人々が何を求めているか、それらのことをいち早くキャッチする福音派の信仰姿勢は、どんな現実が起こってもそれを肯定する。そして肯定できる論理を聖書の言葉を通して見いだしていく。つまり福音派は「超現実肯定主義者」となる者が多いと言うことができよう。

神が総べ治めている世界こそ、私たちが生きているこの世の中であると捉えるため、決して神が許されない出来事が起こるはずはないし、たとえそのような悲惨な出来事が起こったように見えても、それは人間の浅はかな考えにしかすぎず、神の肯定は私たちの評価や解釈を超えるものである、と捉えることになる。そのことは、福音派が好む(私もお気に入りの)次の聖書の言葉からもうかがい知ることができる。

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ29章11節)

だから本紙に掲載された福音派牧師のトランプ氏へのコメントや、フランクリン・グラハム氏の大統領選挙へのコメントを見るにつけ、確かに「聖書信仰」は福音派内で健全に機能していることを実感する。

【関連記事】
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特に今回は「統合作用」として機能することでイニシアチブを取ろうとしているように思われる。予想外の大統領を選出してしまった「アメリカ」という国の行く末に不安と焦りを感じ、国家が二分されてしまうのではないかという恐れを抱く国民に対して、「聖書主義」という超肯定的な現場対応主義の立場から「大丈夫です。神は米国を今なお良き方向へ導いてくれています」というメッセージを発信し始めたと捉えることができる。

そしてこれら一連の福音派の在り方に対して、私たちはどう評価を与えたらいいのだろうか? このように時流を読み、聖書信仰による超肯定主義から主張することは、果たして「変節」なのだろうか? 福音派が事なかれ主義であり一貫性がないことを示す元凶として「聖書信仰」は糾弾されるべきなのだろうか?

福音派の「超現実肯定主義」が機能してこそ保たれる米国の「統合作用」「変革作用」

この点に関して、実は拙著が福音派を批判していると受け止める方がおられる。しかし、これは的外れであると言わざるを得ない。今回のトランプ氏への評価の変遷についても言えることだが、私はこのような超肯定主義が機能してこそ、米国は「統合作用」「変革作用」を保ち続けることができたのだと確信している。

振り子は右から左へ振れた後、今度は左から右へと振れることになる。その際、軸となる支点がしっかりと固定されているからこそ、左右の往復運動を健全に繰り返すことが可能となる。それと同じように、「統合作用」「変革作用」が健全に機能するためには、福音派の「聖書信仰」は、振り子の遠心力を支えるように、一方の極へ振れてしまうことで他方の極との間に分裂が生じることを防ぐ機能を果たしていると言える。

つまり論理的な立場から「変節」とみなされる福音派も、困難や障壁を乗り越えようとする人々に力を与えるという視点に立つなら、その現実の有効性は認められることになる。このような宗教性を米国は決して否定しない。むしろ、これがあるからこそ「アメリカ」は歴史を紡ぎ出すことができたし、その結果として世界第1位の経済大国となることができている。そういった意味で「聖書信仰」は米国を作り上げてきたし、米国だからこそ「聖書信仰」は継承され続けてきたと言える。

トランプ当選後、福音派信仰は分裂した米国の「統合作用」として働く?

ここで私たちは、福音派に関して今回の大統領選挙で見誤ってはならないことを指摘しておこう。それは、トランプ氏に関して当選後に出てくるキリスト教保守系(福音派)の統計、コメントなどを見て、彼らが初めからトランプ支持者であった、と考えるのは早計であるということである。

前回述べたような「出口調査」のカラクリも否定できないし、新大統領が確定した時点で彼らのマインドが「変革作用」から「統合作用」へシフトしてしまった可能性が大いにあるということである。すなわち、神が総べ治めているとする「超肯定主義」が前面に出てきて、今回の混乱をうまく収めようとし始めているということである。これは究極の「後出しジャンケン」である。

しかし大切なのは、トランプショックによって二分する可能性がある米国にとって、この「後出しジャンケン」が、分離傾向に抵抗する力となり得るということである。決定的な抑止力になるかと問われると答えに窮するが、一定の効果を期待することはできるであろう。ルール上(理論的に)は違反(変節)とみなされることが、現実的には有効な働きとなる。これは福音派だからこそできる働き掛けである。

今回の大統領選挙で次第に明らかになってきたことだが、宗教的な意味合いにおける福音派はその影響力が低下しつつある。そう考えると、分裂抑止としての決定力には欠くことになるだろう。しかし、米国を「アメリカ合衆国」たらしめる2つの作用が機能するなら、決して福音派は廃れることはないし、政治勢力の一分派の位置付けに甘んじる結末にはならないと確信している。

なぜなら、神の管理下で建国されたと信じる人々によって生み出された「偉大な実験国家アメリカ」だからである。そう信じる私は、やはり「福音派」なのだなと実感している。

次回は具体的に福音派が歴史的な変革をリードしたり追随したケースとして、「進化論」を取り上げつつ、さらに論点を深めてみたい。

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青木保憲

青木保憲

(あおき・やすのり)

1968年愛知県生まれ。愛知教育大学大学院卒業後、小学校教員を経て牧師を志し、アンデレ宣教神学院へ進む。その後、京都大学教育学研究科修了(修士)、同志社大学大学院神学研究科修了(神学博士)。グレース宣教会牧師、同志社大学嘱託講師。東日本大震災の復興を願って来日するナッシュビルのクライストチャーチ・クワイアと交流を深める。映画と教会での説教をこよなく愛する。聖書と「スターウォーズ」が座右の銘。一男二女の父。著書に『アメリカ福音派の歴史』(明石書店、12年)、『読むだけでわかるキリスト教の歴史』(イーグレープ、21年)。