2016年8月22日06時42分

富についての考察(62)接触を断つことの是非 木下和好

コラムニスト : 木下和好

われわれはさまざまな理由で人との接触を断つことがある。疲れ果てて休暇が必要なとき、何かに集中するとき、あるいは外部からのコンタクトが多すぎて対処しきれない場合などである。

最近では電話での問い合わせに、生きた人間が応答することなく、番号で質問の内容を絞り込んでいくケースが多くなった。訳が分からないまま最初の質問に戻ったりすると、腹立たしささえ感じる。ある教会では、礼拝が始まると外部からの連絡を一切受け付けない。たとえ家族からの緊急連絡でも。

われわれが人との接触を断つとき、多くの場合、自分の都合による。たとえ他の人にとって不利益なことになったとしても。私は欧米の学校に日本人留学生を送り出す仕事もしているが、学校側の担当者が前予告なしに休暇を取り、大変な思いをしたことが何度もある。

留学ビザ取得に必要な入学許可書を発給する前に、突如休暇に入ってしまい、新学期の入学に間に合わなくなってしまった学生もいたし、フライト情報を伝えることができなくなり、空港での出迎えのアレンジが不能になってしまったこともある。

時折人との接触を断つことは、われわれに必要なことである。昔イエスの弟子たちが多忙で休暇が必要になったとき、イエスは彼らに寂しい所へ行ってしばらく休むように命じられた(マルコ6:31)。でもやっと寂しい所にたどり着いたイエスと弟子たちの前に現れたのは、おびただしい群衆であった。

彼らは先回りをしてイエスの一行の到着を待っていたのだ。休暇どころではなかった。この時のイエスは、「今はわれわれをそっとしておいてくれないか」とは言わなかった。羊飼いのいない羊のような群衆を見て深く哀れみ、いろいろと教え、やがて魚とパンの奇跡で群衆の空腹を満たした。

イエスは自分たちの都合を優先させることはなかった。人々が彼らを必要としていたとき、彼らの休暇は急きょ中止になってしまった。

時折人々とのコンタクトを避けてどこかに退くことは、われわれには大切である。でもそのことによって他人に不利益をもたらせないという配慮は、もっと大切である。米国では、医者も長い休暇を取る。多くの患者を抱えた医者が、どうしてそんなことができるのだろうか。

それは、複数の医者が連携し、たとえ緊急患者であっても、休暇中に他の医師に見てもらうことができるシステムを構築しているからである。もちろんカルテも共有されている。彼らは患者に黙って姿を消してしまうようなことはしない。でも十分に長い休暇は取っている。

1人でも自分の存在を必要とし、また頼りにしているなら、われわれは前触れもなく突如人との接触を断つべきではない。たとえ崇高な行為をしているときでも。究極的に崇高な神は「常に祈れ」と言っている。これは、神自ら接触を断つことなどあり得ないことを意味している。

われわれが人との接触を断つための大前提は、配慮と十分な備えである。

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木下和好

木下和好

(きのした・かずよし)

1946年、静岡県生まれ。文学博士。東京基督教大学、ゴードン・コーウェル、カリフォルニア大学院に学ぶ。英会話学校、英語圏留学センター経営。逐次・同時両方向通訳者、同時通訳セミナー講師。NHKラジオ・TV「Dr. Kinoshitaのおもしろ英語塾」教授。民放ラジオ番組「Dr. Kinoshitaの英語おもしろ豆辞典」担当。民放各局のTV番組にゲスト出演し、「Dr. Kinoshitaの究極英語習得法」を担当する。1991年1月「米国大統領朝食会」に招待される。雑誌等に英語関連記事を連載、著書20冊余り。

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