2016年8月1日06時08分

富についての考察(59)起こらないことへの投資 木下和好

コラムニスト : 木下和好

われわれには「1度も体験したことがない」事が多い。でも「体験したことがない」という事実は「起こらない」ことを保証しない。何かが起こるか起こらないかは、体験ではなく確率の問題である。心構えを体験にだけ頼ると大きな失敗を犯すことになる。

私は磯釣りをしていた人が突然高波に襲われて命を落とすというニュースを聞くたびに、確率を無視したことの恐ろしさを感じる。われわれは海の波の高さを目で確認することができる。そしてその波が届かない場所で釣りをすれば安全だと考える。でも、波は一方向からやって来るとは限らない。2つの方向から波が押し寄せて来る場合、何回に1回は波の山と山が重なって突如高波に変わる。これは目で予測することができないので、発生の確率を計算に入れていない人は、命を失うことになる。

私は今まで何十年もの間「自動車保険」「火災保険」「生命保険」のために多額のお金を支払ってきた。でも、交通事故も火災も病死も事故死も1度も体験していない。今後も「死」以外は体験しないかもしれない。でも、それらの災いが起こる可能性が0パーセントでない限り、起こったときの備えが必要となる。0パーセントでないということは、起こる確率~パーセントということになるからだ。

実際、保険会社が掛け金を計算するとき、事故発生の確率を綿密に計算して算出する。この確率を無視すると、保険業は成り立たなくなる。ここで問題になるのは、1度も自分の身に降りかかることがないかもしれないことのために投資することだ。確率が低ければ低いほど、無駄な投資に思えてくる。

でも、ユダヤ人の間には「起こらないことへの投資には価値がある。そして起こらなかったことのためにお金を費やしたことを感謝する」というような格言があると聞いた。これは結果的に高波が来なかったけれど、高波が来ても大丈夫な場所で釣りをした人が、多少海面から遠くてもそこで釣りができたことに感謝するのに似ている。

私は高速道路で運転しているとき、「1度も交通事故に遭ったことのない」ドライバーの無謀な運転に腹が立つ。彼らは同じ行為を繰り返していれば、何度かに1度は大事故が起こるという「確率」が念頭に入っていない。体験にだけ頼るドライバーが何て多いことだろう。

でも、われわれは知らず知らずにビジネスにおいても、日常生活においても同じようなことをしている可能性が高い。可能性が100パーセントなのに0パーセントであるかのごとくに思っている典型的な例が「死」であろう。なぜなら、今生きている人は、例外なく1度も死んだことがないからだ。

われわれは死を体験したことのある人と会話することはできない。でも、死の発生率は100パーセントだ。生命保険は、残された家族のための備えだが、自分自身のための投資でもある。これは起こらないことのための投資ではなく、起こることのための投資だ。その投資金が、すでにキリストによって支払われていることの素晴らしさは計り知れない。

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木下和好

木下和好

(きのした・かずよし)

1946年、静岡県生まれ。文学博士。東京基督教大学、ゴードン・コーウェル、カリフォルニア大学院に学ぶ。英会話学校、英語圏留学センター経営。逐次・同時両方向通訳者、同時通訳セミナー講師。NHKラジオ・TV「Dr. Kinoshitaのおもしろ英語塾」教授。民放ラジオ番組「Dr. Kinoshitaの英語おもしろ豆辞典」担当。民放各局のTV番組にゲスト出演し、「Dr. Kinoshitaの究極英語習得法」を担当する。1991年1月「米国大統領朝食会」に招待される。雑誌等に英語関連記事を連載、著書20冊余り。

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