2016年7月11日07時39分

富についての考察(56)正しいことVS適切なこと 木下和好

コラムニスト : 木下和好

正しいことと適切なことは同じではない。適切なこととは、適切な状況下で正しいことを行うことを意味する。正しいことでも不適切な状況下で行われれば、正しいとは言えない。

でも誰かが正しいことを行っているとき、それは適切ではないからと中断させることはとても難しい。私があるセミナーのメーンゲストとして招かれたとき、前座的お話をした人物がいた。とても啓蒙的な話をしたので会衆はその話に引き込まれて行った。

彼の話の内容は疑いもなく正しかったが、適切ではなかった。なぜなら彼は1時間以上も話し続け、私が演壇に立ったときは、閉会の15分前になっていた。もちろん私は言いたいことを十分言えずに話を終えた。

主催者側は、彼の話を不適切として中断させる勇気がなかった。

信仰に関わることでも似たようなことが起こる。聖書は「絶えず祈りに励みなさい」(ローマ12:12)と命じている。クリスチャンにとって祈ることは正しい。

ある修養会で朝食の祈りを頼まれた人が、素晴らしい言葉で流れるようなお祈りを始めた。やたらな説教よりも理路整然としていた。でも彼女は50分も祈り続けたので朝食の時間が過ぎてしまった。

彼女が正しいことを行っていたので、誰もその祈りを中断させることができなかった。

伝道者の書3:11は「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と言っている。これは、調和の神が全てのことを時にかなって行うことを意味している。

調和とはバランスを意味し、美もバランスの中にのみある。超美人と呼ばれている人より鼻が高い人がいる。でもその人は必ずしも美人ではない。鼻が高いことが美人の条件であっても、全体のバランスが取れていなければ、その鼻はむしろ醜いものとなってしまうのだ。

イエスがマリヤとマルタの家を訪れたとき、マルタは接待の準備をし、マリヤは姉を手伝わずに座ってイエスの話を聞いていた。マルタはその不満をイエスにぶちまけた(ルカ10:39~42)。

この出来事の場合、マリヤもマルタも正しいことを行っていた。でもこの状況下で、イエスはマリヤの行動が適切であると言った。イエスの話の方が接待の有無より大切であったからだ。

マタイ6:28、29でイエスは「野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした」と言っている。

神の被造物である花がそんなに美しいのは、色にも形にも適切なバランスがあるからだ。

われわれは真面目であればあるほど、正しいことのみに心を奪われ、それが置かれた状況下で適切かどうかを忘れてしまう危険性がある。そして、知らず知らずのうちに、多くの人たちに迷惑をかけてしまう結果となる。

信仰においてもビジネスにおいても、われわれは正しいことを適切な状況下で行うことを心掛ける必要がある。

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木下和好

木下和好

(きのした・かずよし)

1946年、静岡県生まれ。文学博士。東京基督教大学、ゴードン・コーウェル、カリフォルニア大学院に学ぶ。英会話学校、英語圏留学センター経営。逐次・同時両方向通訳者、同時通訳セミナー講師。NHKラジオ・TV「Dr. Kinoshitaのおもしろ英語塾」教授。民放ラジオ番組「Dr. Kinoshitaの英語おもしろ豆辞典」担当。民放各局のTV番組にゲスト出演し、「Dr. Kinoshitaの究極英語習得法」を担当する。1991年1月「米国大統領朝食会」に招待される。雑誌等に英語関連記事を連載、著書20冊余り。

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