2016年6月8日22時25分

そうじ力(2)いつか使うかもしれない物をどうするか 菅野直基

コラムニスト : 菅野直基

前回は、整理と整頓についてお話ししました。今日は、整理するときの基準について考えてみたいと思います。

整理とは、「いる物といらない物を分けて、いらない物を捨てる」ことでした。いらないと分かっていても、「いつか使うかもしれない」という心が働くと、「いる物といらない物」の基準が曖昧になってしまいます。

例えば、「一生懸命に作った資料だから、とっておきたい」という気持ち。会議の資料を作るのに何時間もかけたとしたら、つい気持ちが揺らいでしまいます。もちろん、次に何かの資料を作るためのひな型として一部持っておくと便利ですが、パソコンにデータが残っていれば、スパッと捨てても問題はありません。

小さい頃、「物を大切にしなさい!」と教えられた人は、「もったいない!」という気持ちが働くものです。不要な物を捨てられないばかりに、時間を無駄にすることがあります。

仮に、資料の整理と整頓がしっかりされているなら、必要な資料は1分もあれば出すことができるものですが、「もったいない!」と捨てられないばかりに、資料を探すのに30分かかったとしたら、どちらがもったいないでしょう。

さらに、いつか使うかもしれない物は、チリも積もれば山となるで、膨大なスペースが必要になります。人によっては、いつか使うかもしれない物が一部屋分を占めることがあります。

都会に住んでいて感じることは、物をたくさん持つことよりも、持ち物を必要最小限にして、より多くの空間を持つ方が贅沢(ぜいたく)だということです。

一昔前のことですが、教会に来られた方の家庭訪問をしました。小ぎれいに片付けられた部屋にドーンと大型液晶テレビが置かれていました。値段を聞いてびっくりしました。約100万円したそうです。

巨大なブラウン管の安いテレビを後生大事に使っていた私には、手が届かないものだと思いましたが、高いお金を出して空間を手に入れていると考えたら、頭の良い選択だと感じました。

「いつか使うかもしれない」という物に対する愛着と、物を探すために費やす時間や物を保管する膨大なスペースの無駄を天秤にかけてみてください。

「いる物」と「いらない物」を分けて、「いらない物」を思い切って捨ててみませんか?

すっきりするものです。私は、誰よりも物に対する愛着が深い人間の1人だと思います。それだけに、心を鬼にしないとなかなか物を捨てられません。不要な物をスパッと捨てたときの爽快感は忘れられませんし、捨てた物が必要になったことはまずありませんでした。

いる物といらない物を隔てる基準は、一人一人違うと思います。それで当然です。一度いらない物に分別されたならば、後はごみ収集日にごみの収集所に持っていくだけです。

次回は、いらない物だけど、どうしても捨てられない物をどう扱うかについて考えたいと思います。

お部屋、車内、オフィス、デスクなどの整理、してみませんか?

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菅野直基

菅野直基

(かんの・なおき)

1971年東京都生まれ。新宿福興教会牧師。子ども公園伝道、路傍伝道、ホームレス救済伝道、買売春レスキュー・ミッションなどの地域に根ざした宣教活動や、海外や国内での巡回伝道、各種聖会での賛美リードや奏楽、日本の津々浦々での冠婚葬祭の司式など、幅広く奉仕している。日本民族総福音化運動協議会理事。

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