2016年3月30日22時35分

牧師の小窓(21)福江等

コラムニスト : 福江等

東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた仙台市宮城野区の「シーサイドバイブルチャペル」で、瓦礫(がれき)の中から掘り出され、再建された十字架が被災者に希望を与えていると聞きました。

このニュースで思い出されることがあります。それは30年ほど前のことですが、レバノンで内戦が起きたときのことです。首都ベイルートは瓦礫の山と化してしまいました。当時、米国国際ナザレン教会の総監督をされていたジェラルド・ジョンソン博士は、ベイルートにいる宣教師やクリスチャンたちの安否を思い、内戦が治まるとすぐに現地を訪ねて行かれました。

博士は一人の宣教師を見つけ出すことに成功しました。そしてその宣教師の案内で瓦礫の山と化した市街地を見て回りました。あまりの惨状に言葉を失ってしまいました。至る所が激しい戦闘で破壊されていたのです。博士の心は次第に重苦しくなっていきました。そんな時に宣教師が見せたいものがあると告げました。重苦しい気持ちで宣教師の後について行きました。

瓦礫の中を注意しながらしばらくついて歩いて行くと、宣教師が遠くを指さして「あれを見てください」と言います。指さす方向を見ると、そこには無残に破壊された教会堂が一部を残して建っていました。悲しい思いでそれを見つめていると、宣教師がさらに言いました。「もっと上を見てください」と。

言われるまま上の方を見ると、なんとそこには十字架が破壊されずに残っていたのです。激しい戦闘でほとんど全ての建物が破壊され、瓦礫の町と化していたベイルートに、一つの教会の十字架だけが残っていたのです。ジョンソン博士はその時、感動を覚えました。

この2千年の間、世界には多くの戦争があり、災害があり、人間の歴史は計り知れない痛みや苦しみを経験してきている。しかし、それでもいつの時代にも十字架は立ち続けている。喜びの日にも苦しみの日にもキリストの十字架は今日も立っている。そして、人類に希望を投げ掛けている。キリストは人類の希望である。

そう思うと、それまで深い憂いに閉ざされていた博士の心に希望の光が差し込んできたのでした。十字架は今日も立っている。このことを覚えて、私たちもまたそれぞれの使命を生きていきたいものです。

牧師の小窓(21)福江等
瓦礫の中に立つ十字架=2011年5月、仙台市宮城野区で

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福江等

福江等

(ふくえ・ひとし)

1947年、香川県生まれ。1966年、上智大学文学部英文科に入学。1984年、ボストン大学大学院卒、神学博士号修得。1973年、高知加賀野井キリスト教会創立。2001~07年、フィリピンのアジア・パシフィック・ナザレン神学大学院教授、学長。現在、高知加賀野井キリスト教会牧師、高知刑務所教誨師、高知県立大学非常勤講師。著書に『主が聖であられるように』(訳書)、『聖化の説教[旧約篇Ⅱ]―牧師17人が語るホーリネスの恵み』(共著)、『天のふるさとに近づきつつ―人生・信仰・終活―』(ビリー・グラハム著、訳書)など。

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