2016年3月19日21時57分

受難週と復活「互いに愛し合う教会」の誕生物語(4)愛し合うことを妨げる「恐れ」 森正行

コラムニスト : 森正行

愛し合うことを妨げる「恐れ」

そして、賛美の歌を歌ってから、みなでオリーブ山へ出かけて行った。

イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる』と書いてありますから。

しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」

すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」

イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」

ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言った。

(マルコ14:26~31、新改訳聖書)

ペテロは力をこめて言った、「たとい あなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。みんなの者もまた、同じようなことを言った。

(マルコ14:31、口語訳聖書)

「あなたがたはみな、つまずきます」と言われたイエスの言葉に、ペテロと他の弟子たちは激しく反発しました。自分のセルフイメージ・理想の姿と真逆の姿を指摘されたからです。

ペテロには、自分で思い描いた理想の姿がありました。「おれはイエスについて行く。裏切るようなやつはダメだ。『知らない』と言うようになったらおしまいだ。お役に立てなくなるし、恥ずかしい」といったように。

ペテロに限らず、私たちも自分でセルフイメージを持ち、また自分の将来や人間関係、経済的なこと、仕事や学校の部活動などで「行き詰まったら、乏しくなったら、失敗したらどうしよう」「そうなったら、だめだ、おしまいだ」などと考えがちです。思い当たることはありませんか。

ペテロはまた、他の弟子たちと自分を比べ、「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません」と露骨に言い切りました。

私たちも人の弱さや貧しさを見て、心の中で「あの人みたいになったらだめだ」と思うことはないでしょうか。私たちがこのように思い、考えてしまうのは、一つの原因があります。

心の底に「恐れ」があるからです。

そして「恥をかかないように頑張ろう」などと、努力しています。人目を気にしたり、人に余分な気を使ったり、仕事や勉強、教会の奉仕を必要以上に頑張る背景が「恐れ」になっていないでしょうか。

これは「互いに愛し合う」ための大きな障害物にもなっています。自分の中の恐れは、隣人にも同じ恐れを背負わせるのです。そして、恐れているものは「人に知られたくない」とも思い、また「認めたくない」とも思いがちです。

だからこそ、まずは神の前で問い直しましょう。

【祈り】 神様、私にも恐れているものがあります。それをはっきりさせ、一つ一つ主の前で認めていきます。助けてください。

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森正行

森正行

(もり・まさゆき)

1961年兵庫県西宮市出身。建設専門学校卒。不動産会社、構造建築事務所にて土木・建築構造設計部門を5年間勤務。1985年受洗。関西聖書神学校卒。岡山・岡南教会にて伝道師・副牧師3年間奉仕。1995年より現在、日本イエス・キリスト教団宮崎希望教会牧師。