記事一覧
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温故知神―福音は東方世界へ(79)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本24 川口一彦
中国の歴史書などには、大秦国である西アジアの地誌が書かれてあった。それを紐(ひも)解いてみると、おそらく珊瑚(サンゴ)の海とはインド洋あるいは紅海のことか。衆宝の山々とはコーカサスの山々か。長風弱水はチグリス川とユーフラテス川のことか。
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温故知神―福音は東方世界へ(78)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本23 川口一彦
皇帝の写真は中国国内の各所で掲げられていた。景教会堂にもそれを掲げた。これは崇拝対象ではなく皇帝の国家的威力を示すことにあった。現代の中国には毛沢東の肖像画が、内モンゴル各地でもチンギスカンの肖像画がある。
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温故知神―福音は東方世界へ(77)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本22 川口一彦
大秦寺の文字は碑文冒頭にも出るが、大秦とはユダヤのこと。ユダヤのイエスの教えであることから景(景は世界の光イエスの意味)教とした。以前の名称はペルシアから来たことから波斯(ペルシア)寺と呼んでいた。景風はイエスの教えのこと。
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温故知神―福音は東方世界へ (76)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本21 川口一彦
太宗皇帝が景教の中国国内での宣教許可を与えた一文である。それだけではなく、長安場内義寧坊区の大秦寺をはじめ全国に会堂が建っていくようになる。
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温故知神―福音は東方世界へ (75)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本20 川口一彦
宣教師と供の者たちは太宗皇帝に対し、ペルシャから唐に来た理由を伝えた。そして自分の信じる神や救い主イエス、聖書やペルシャの地理に関して伝えた。また、図書館では聖書を漢訳し、やがて3年が経過すると、皇帝は宣教の許可を与え激励した。
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温故知神—福音は東方世界へ(74)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本19 川口一彦
この項目では初代宣教師が入京し、シリア語の景教諸経典を漢語へと翻訳作業を進めてから約3年が経過。この間、皇帝と総理大臣など政治家や役人幹部に景教について説明する。
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シルクロード&バイブルロードの中継点 中央アジア・キルギス見聞録(3)
5月11~12日。車外からは4千メートル級の天山山脈が雄大に見えた。その裾野に広がる草原にはタンポポの花が咲き誇っていた。白樺林が立ち並ぶ主要道路を西に向かい到着したところはチョルポンアタであった。
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シルクロード&バイブルロードの中継点 中央アジア・キルギス見聞録(2)
5月8~9日。講義初日、川口以外に4人の講師が話された。1人は韓国から、1人はイスタンブールから、1人は福岡から、1人は地元から各宣教師たちが発表。アルメニアのセパン湖で撮影した古代東方教会のカチカ(十字)遺跡映像が映し出された。
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シルクロード&バイブルロードの中継点 中央アジア・キルギス見聞録(1)
主なる神の奇しき導きから初めてキルギス国に足を運ぶことができたことは、感慨無量であった。1885年、この地のビシュケクやトクマクの墓地でエリカオン信徒たちの墓石が発見された。当時の数は610個、シリア語やトルコ語の文字で刻まれ、中央には十字が彫られている。
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温故知神—福音は東方世界へ(73)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本18 川口一彦
房玄齢は、太宗皇帝の側近として玄武門の変において太宗の権力奪取を助けた貞観の治の立役者の1人。中国伝記書の『旧唐書』巻66列伝第16「房玄齢伝」、『新唐書』巻96列伝第21「房玄齢伝」があるが、宣教師を歓迎したことの記事はない。
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温故知神—福音は東方世界へ(72)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本17 川口一彦
太宗皇帝(李世民、598~649、在位626~649。旧唐書の称号には太宗文武大聖大広孝皇帝とある)は、唐代の太祖・李淵の第2子。即位して年号を貞観と改元、20年以上治める。この時代を「貞観の治」と呼ばれ、太平の世といわれた。
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温故知神—福音は東方世界へ(71)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本16 川口一彦
景教の名称由来が書かれ、景教は真理によって導かれ、拡大していくと。道と聖の用語の道とは景教のこと、聖とはその生き方そのものが聖別されていることから天下に広まっていくと説明します。
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温故知神—福音は東方世界へ(70)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本15 川口一彦
景教徒たちの日々の教会生活が書かれています。生きている信徒、亡くなった信徒全てのために執り成しの祈りもささげ(大庇とは大いにかばうとか、おおうの意味から、執り成しの祈りをささげるとした)、1日に7度の礼拝賛美をささげます。
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温故知神—福音は東方世界へ(69)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本14 川口一彦
景教徒たちの信仰生活がシンプルライフであったことが分かります。ペルシャや中央アジアから外国の中国に宣教に来ていたことや、信仰を持った現地人の中国人にもシンプルライフを教えていたと考えます。
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温故知神—福音は東方世界へ(68)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本13 川口一彦
十字を印としていたとは十字を切ること、十字にかたどったものを身に着けていたことがうかがい知れます。今日多くの信徒が十字を貴ぶのと似ています。
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温故知神—福音は東方世界へ(67)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本12 川口一彦
太陽が真上に昇りつめていくことと、船が掉さして天辺に昇る表現は、古代エジプトや西洋では太陽信仰の1つです。しかし、この箇所は太陽信仰ではなく、イエス・メシアが死から復活し昇天されたことに重ね、信徒たちも天に昇っていくさまを実体的に表現しました。
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温故知神—福音は東方世界へ(66)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本11 川口一彦
この箇所は、主イエスの復活により死を滅ぼし、新しい命の世界を開かせ、信仰・希望・愛に生きる信徒たちが天に昇っていくことを伝えています。
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温故知神—福音は東方世界へ(65)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本10 川口一彦
この箇所は三一の聖霊によって、信徒の群れがつくられていったことを刻みます。ここでは、聖霊が主体的に働いて人を新生させること、神にあるクリスチャンライフについて記しています。
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温故知神—福音は東方世界へ(64)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本9 川口一彦
この箇所はメシアの降誕記事で、東の博士たちはペルシャから宝物をささげに来たことが書かれています。なぜペルシャだと断定できたのかは、実際にメシアを礼拝した博士たちが自国に帰ってメシアに出会ったことを秘め事にせずに言い広めたからです。
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温故知神—福音は東方世界へ(63)大秦景教流行中国碑の現代訳と拓本8 川口一彦
分身は子の意味。三一の表記はすでに述べたように、漢字で最初に出たもので、父と聖霊とが唯一でありつつ三位格の存在を伝えています。弥施訶はメシアの当て字で、景教文書に多く出、キリスト表記はありません。それは、景教がアラム語、シリア語を話し書いていたからです。
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