『記憶の癒し アパルトヘイトとの闘いから世界へ』(聖公会出版、2014年)の著者で、聖公会の聖使修士会に所属するマイケル・ラプスレー司祭が、ハワイから南アフリカへの帰路の途中に初めて来日した。9日夜には、聖公会神学院(東京都世田谷区)でラプスレー司祭の公開講演会が行われた。
この公開講演会では、ラプスレー司祭が、南アフリカ解放のための自由の闘士から、傷つき、世界的な使命を帯びた治癒者となるに至った道筋を振り返る約15分間の映像が、日本語字幕付きで上映された(記事下に動画あり)。
1949年にニュージーランドで生まれたラプスレー司祭は、「記憶の癒し 自由のための闘士から癒し人への私の旅路」と題して講演。逐次通訳を交えて約70人の聴衆に対し、南アフリカでのアパルトヘイトとの闘いで、1990年に手紙爆弾テロを受け、両手と片目の視力を失いつつも、1998年に「記憶の癒し研究所」を設立し、その所長として世界中で他者の癒やしのために働くようになった体験などを、約30分間にわたり、時にユーモアを交えながら語った。
「私に手紙爆弾を送った人たちは、私を傷つけた以上に、自分たち自身を傷つけた」と、南アフリカ教会協議会の副議長でもあるラプスレー司祭は語り、「私の国である南アフリカでは、お互いの痛みを語り、それに耳を傾けられる新しい言葉で、新しい国民的な会話が必要だ。私たちはお互いの癒やし人になれる」と述べた。
その上で、ラプスレー司祭は日本について言及。「私がよく知っているのは、地震と福島で起こったことを通して、この国が経験した痛みとトラウマの大きさだ。そのことの結果は次の世代に感じられていくだろう」と述べた。
広島と長崎の原爆投下にも触れ、「日本が人道に対する世界史上で最大の罪を受けたことをとても残念に思う」と語り、「癒やしの旅路の一部は、悪が何であるかを名指しすることだ」と付け加えた。
ラプスレー司祭は、日本聖公会が4月に発表した主教会メッセージ「戦後70年に当たって」にも言及。大きな感銘を受けたと述べるとともに、このメッセージは精神的勇気とビジョンを反映すると同時に、行動へと呼び掛ける言葉があると付け加えた。
「私たちが道徳的な規則に反して行動するとき、私たちは道徳的な傷を生み出す。神の姿に似せてつくられた他の人間を殺すとき、私たちは自らが攻撃した人だけではなく、霊的に自らを傷つける。道徳的・霊的な傷は戦闘員だけではなく、暴力がその名において犯された社会にも当てはまる」と、ラプスレー司祭は述べた。
さらに、その文脈の中でラプスレー司祭は、「謝罪は大切なことだ。しかし、それが実質的なものになるためには、回復させる正義に結び付けられる必要がある」と、謝罪と正義について述べた上で、主教会メッセージについて、「主教たちが全ての教会のメンバーたちに平和の象徴となるように呼び掛けているということは、何と素晴らしいことだろう」と賞賛した。
そして、「平和があるべきであって、戦争はあってはならないのなら、継続的な記憶の癒やしの旅路があるべきだ。私たちは互いの痛みに耳を傾け、なされたことが悪であることを認めようとしていなければならない」と主張。「私たちの癒やしが始まるのは、国の歴史と私たちの親と祖父母に起こったことが、道徳的および霊的障害と同じく、世代を超えたトラウマを引き起こしたということを、私たちが認めることができた時だ」と述べた。
「私の記憶は私の物語を語るばかりではなく、世界中での記憶の癒やしの働きの物語を語る」と言うラプスレー司祭は、最後に「私は小さいけれど意味のある方法で、私の生涯が癒やしの可能性を証しすることを望んでいる。私たちは過去にとらわれた囚人となる必要はない。実に、十字架の後には復活があり得るのだ」と講演を結んだ。
ラプスレー司祭は、10日午前に国際基督教大学(東京都三鷹市)で講義を行い、午後に日本聖公会東京教区の大畑喜道主教と面会。11日は早朝に広島へ向かい、午後6時半から広島復活教会(広島市)で、「マイケル・ラプスレー司祭を囲む会」が行われる。さらに13日には、午後2時から国際連合大学(東京都渋谷区)で講演を行う。日曜日の14日には、聖アンデレ教会(同港区)の聖餐式で説教を行い、夕方に南アフリカへ帰国するという。
■ マイケル・ラプスレー司祭の軌跡(日本語字幕付き)
■ マイケル・ラプスレー司祭講演会:講演・質疑応答