わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎(とが)を赦(ゆる)し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖(あがな)い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲(わし)のように、新しくなる。(詩篇103:1~5)
この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。主はみことばを送って彼らをいやし、その滅びの穴から彼らを助け出された。(詩篇107:19、20)
神様はあなたを癒やし、この夏を歩んでいくための元気と躍動感を用意してくださっています。信じましょう!
最近、東京大学とベネッセが共同で行った「子どもの読書習慣」に関する興味深い調査がありました。それによると、本を読む子の数はあまり減っていないそうです。しかし、あまり本を読まなかった子どもが全く読まなくなり、「二極化」が極端に進んでいるそうです。
やはり、本を読む子は能力や知恵が高く、本のない生活を送る子は人生のバランスを欠き、大きな幸せのきっかけを逃してしまいます。これは私たちの霊的な歩みにも似ています。
「神などいない」と高ぶって生きる人と、常に「神が共におられる」生き方をする人の二極化があります。詩篇53篇にあるように、神を認めない生き方は心が腐り、人生を台無しにする罪の中に置かれます。
しかし、私たちは神が共におられる人生を選び取りましょう。癒やしとは、病気になったときだけの「応急処置」ではありません。イエス様の救いの中に、癒やしの恵みは最初からパッケージとして含まれているのです。
今日、私たちが救いに含まれる癒やしを実体験するために、3つのポイントでお話しします。
1. 神が常に共におられる人生を選び取ろう!
クリスチャンの歩みとは、洗礼を受けた後、困ったときだけ神頼みをすることではありません。イエス様が「常に共におられる」ことを意識して生きることです。
癒やしを、手術の代わりのような損得感情で求めるのではなく、救い主が共におられるから癒やされるのは「当たり前」なのです。主がなしてくださる良いことを何一つ忘れず、常に共にいてくださる救い主を意識して歩みましょう。
2. 神が共におられる人生には、恵みが常に注がれる!
詩篇103篇には、主が全ての咎を赦し、全ての病を癒やすとあります。私たちの命を絶望の穴から贖い出し、恵みとあわれみの冠を授けてくださるのです。この救いの恵みによって、私たちの若さはわしのように新しくされ、生き生きと輝くことができます。
救われている者には、神様が共におられ、一時的な助けではなく、絶え間ない恵みの流れがあるのです。
3. 神に呼び求めて今日も癒やされよう!
もし今、肉体の疲れや病の苦しみの中にいるのなら、遠慮せずに主を呼び求めましょう。
詩篇107篇には、苦しみのときに叫ぶ者に対し、主が「みことばを送っていやされた」と記されています。イエス様は今も癒やし主として働いておられます。癒やしは誰か特別な人のものではなく、あなたのために用意された救いの一部です。
信仰を持って主の御名を呼び、今日この場所で、神の力による本物の癒やしと回復を受け取ろうではありませんか。イエス様の救いには癒やしも含まれています。常に共におられる主を信頼し、その豊かな恵み、良いものを今日、信仰によって実体験していきましょう。
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