2026年6月30日19時00分

トマス・ア・ケンピス著『キリストにならいて』 600年以上読み継がれてきた名著

執筆者 : 栗栖ひろみ

トマス・ア・ケンピス著『キリストにならいて』 600年以上読み継がれてきた名著
トマス・ア・ケンピス著、池谷敏雄訳『キリストにならいて(改訂版)』(新教出版社、1984年)

本書『キリストにならいて』は、幾世紀にもわたって、悩める者、孤独な者、生活の重荷を抱える者の良き友となり、心に平安を与えてきたキリスト教の名著。トマス・ア・ケンピスが修道院生活の中で信仰の兄弟たちに語ったものを集めたものだが、修道院という限られた空間を超えて万人の心を潤し養い続けている。

著者について

トマス・ア・ケンピスは1380年、ドイツ西部の都市ケルンより40マイルほど北西にあるケムペンという町に生まれた。父はヨハン・ヘメルケン、母はゲルトルート。トマスは、「ケムペンのトマス・ヘメルケン」というわけだが、略して「トマス・ア・ケンピス」と呼ばれたのだった。

父親は金属の細工師。トマスは敬虔な母親に育てられた。少し大きくなると町のグラマースクール(文法学校)に学び、13歳の時にディヴェンター教団に所属した。これはヘラルト・フロートの創立した教団で、トマスの兄ヨハンも既に加わっていた。教団の人々は全てのものを共有し、自分の手で生計を立て、清貧と純潔と服従の生活を送っていた。その目的は、使徒時代の者が行っていたように、敬虔で単純な生活に帰ることによって、当時の弛緩(しかん)し腐敗した生活に挑戦することであった。

トマスは後に、この教団の人々の生活ぶりをこう語っている。「彼らは神にあって心と思いを一つにしていた。すべてを共有し、質素な食事と衣服に甘んじ、明日のことを少しも思いわずらわなかった」。彼はこの教団で7年を過ごした。この時、フロートは既に亡くなっており、その弟子の中でも特に優れ、師を支え続けてきたフロレンティウス・ラディウィンが指導者となっていた。

トマス・ア・ケンピス著『キリストにならいて』 600年以上読み継がれてきた名著
トマス・ア・ケンピスの肖像画

1399年、トマスはラディウィンの承諾を得て、オランダのツヴォルに行き、聖アグネス山の新しい修道院に入り、ここで修道士として生活し、修業に励んだ。1413年に彼は33歳で司祭となった。本書はその後に書かれたといわれている。彼はさらに続けて著書を書き、『祈りとキリストのご生涯についての黙想』『霊の修業』『精神の向上』『魂の独語』『バラの園』『心の真の悔改めについて』『孤独と沈黙とについて』『修道院の規律について』などの名著を生み出した。その他、トマスは深い敬意を込めて、自分の指導者であるヘラルト・フロートとフロレンティウス・ラディウィンの生涯を記した伝記も書いた。

1425年、彼はこの修道院の副院長となり、新しく入会した人々の指導に当たった。彼は雄弁で優れた説教者であったにもかかわらず、常に謙虚で他者を立て、自分はその足を洗うことを好んだと伝えられている。後に弟子は彼の人徳をしのんでこう述べている。「沈黙が彼の友であり、仕事が彼の伴侶であり、祈りが彼の助けであった」

1471年、彼は多くの人に惜しまれながら、91歳の祈りと労苦に満ちた生涯を閉じた。

作品について

トマス・ア・ケンピス著『キリストにならいて』 600年以上読み継がれてきた名著
『キリストにならいて』の15世紀の写本(ベルギー・ブリュッセル王室図書館蔵)

本書が600年以上にわたってキリスト教界に及ぼした影響は、測り知れないものがある。聖書に次いでこれほど深い知恵と明徹な思想、人を回心させる力を持った書物は他にないといわれている。ある人はこの書を「光と命の書」と呼び、またある人は「この書はキリストが天から地へもたらした光を反映し、キリスト教の最高原理を最も忠実に表現している」と評価している。

時代の急激な変化や、社会の混乱の中にあっても、著者の信仰は岩のように揺るぎなく、どんな嵐にも曇らない澄んだまなざしと神への限りない愛が本書からあふれ出ている。そうしたものが、読者の心を揺さぶり、励まし、あるいは慰めで包むのである。本書の日本語訳は、1596(慶長元)年に出たローマ字本の『コンテムツスムンヂ』以来、さまざまな訳出のものが数多く出ている。

見どころ

本書の構造は、「第1篇 霊の生活に益ある勧め」(25章)、「第2篇 内なる生活についての勧め」(12章)、「第3篇 内なる慰めについて」(59章)、「第4篇 聖餐について」(18章)となっている。以下、その中から幾つかを紹介させていただく。

第1篇 霊の生活に益ある勧め

ただ現世の生活のみに心をとめて、来世の備えをしないのはむなしいことである。いとすみやかに過ぎ去るものに愛着して、永遠の喜びのある所へ急いで行かないのはむなしいことである。(1章4、18ページ)

ああ、真理の神よ、わたしをとこしえの愛のうちに、あなたと一つにして下さい。多くのものを読み、また聞くことは、しばしばわたしを飽かせます。わたしが願い求めるものはすべてあなたのうちにあります。(3章2、21ページ)

聖書の中に求めるべきことは真理であって、雄弁ではない。すべて聖書はそれが書かれた精神で読むべきである。聖書の中には、言葉の巧みさよりもむしろ魂の益となるものを求めるべきである。(5章1、24ページ)

時として、苦労や逆境に出会うことはわれわれにとってよいことである。苦労によって、人は自分の心をたずねることが多いからである。これによって、人はこの世では、追放の身であって、世の何ものにも望みを置くことはできないことに気づくのである。(中略)人から悪く思われ、誤解されるということもよいことである。そのようなことはわれわれがけんそんになることに役立ち、また虚栄心が起こらぬようにする。(12章1、32ページ)

もし大いに進歩しようと思うならば、大いに励まねばならぬ。(中略)正しい人の志は自分の知恵によるよりも、むしろ神の恵みによる。彼らは何事を企てるにも常に神に信頼を置く。事を企てるのは人間にある。しかしこれをなし遂げるは神にある。(19章2、44ページ)

第2篇 内なる生活についての勧め

ただ一度でも完全にイエスの心のうちにはいり、彼の燃えるような愛を幾分でも味わうならば、あなたは自分の利や不利を顧みないであろう。もし自分の上に人のそしりが投げられるならば、むしろそれを喜ぶであろう。それはイエスへの愛によって人は自分をさげすむようになるからである。(1章6、73ページ)

生にも死にも堅くイエスと結び、彼を信じて自分をゆだねなさい。すべての者が助け得ないとき、ただ彼のみあなたを助け得るのである。あなたが愛するイエスは他の者と共にあなたの愛を分かつことを望まぬ性質を持っておられる。彼はただひとりあなたの心を求め、そこに王として玉座につくことを欲しておられる。(7章2、82ページ)

イエスなしでは、この世は何をあなたに与えるであろうか。イエスなしでいるということは、いまわしい地獄である。イエスと共にいることは楽しい天国である。もしイエスがあなたと共におられるならば、いかなる敵もあなたをそこなうことはできないであろう。(8章2、83ページ)

苦難もキリストのためには、楽しく、快いものと思われる境地に達したとき、すべてはあなたにとって幸いであると考えなさい。地上に楽園を見出したからである。(12章11、98ページ)

第3篇 内なる慰めについて

愛のみがすべての重荷を軽くし、すべてのでこぼこを平らにする。愛は重荷を負って少しも重荷と思わず、すべてのにがいものを甘く味のよいものとする。イエスの貴き愛は人を励まして大きなことをさせ、人を振い起こして常に一層完全なものを望ませる。(5章3、112ページ)

わが魂よ、すべてのものにまさって、またすべてのものにあって、常に主のうちに休みなさい。(21章1、144ページ)

ああ、イエスよ、永遠の輝き、巡礼者の魂の慰め主よ、(中略)いつまでわが主はその来ることを延ばされるでしょうか。どうか主の貧しいしもべの所に来てこれを喜ばせて下さい。み手をのべてあわれな者をすべての苦悩から救って下さい。来て下さい、来て下さい。あなたがいなければ一日も一時も喜びはありません、あなたはわたしの喜びであって、あなたがいなければわたしの食卓はむなしいのです。(21章4、146〜147ページ)

わが神、わがすべて。これ以上に何を求め、また、どんな幸福を望むことができましょう。(中略)「わが神、わがすべて」 知恵ある者にとってはこの言葉だけで十分です。これをしばしば繰り返すことは愛する者にとって楽しいことです。あなたがいられると、すべてのものは楽しく、あなたがいられないと、何もかも物憂くなります。(中略)あなたなしではどんなものも長く楽しみを与えることはできません。物事が楽しく快いものであるためには、あなたの恵みが加わり、あなたの知恵のかぐわしさで風味がつけられねばなりません。(34章1、172ページ)

わたしは、へりくだる心を一瞬のうちに高めて、学校で10年学んだにもまさって、永遠の真理のことわりを悟らせる者である。(中略)深くわたしを愛することによって、神の事に通じ、不思議な事を語った人がある。彼はすべての事を捨てることによって、深遠な事を研究するにもまして進歩をした。しかしわたしはある人には普通の事を語り、ある人々には特別の事を語る。(中略)わたしは心の中に真理を教え、心をさぐり、思いを見分け、行いをうながし、自分のよしと思うままに各自に分け与える者だからである。(44章3・4、186〜187ページ)

正しくて、常にほめたたえるべき父よ、あなたのしもべが試みられる時が来ました。愛する父よ、この時しもべがあなたのために何か忍ぶことは当然のことです。(中略)しばらくの間軽んぜられ、いやしめられ、人々の目につくことなく、苦しみと悩みとでやつれるでしょう。これは新しい光の夜明けにあなたと共に再び起き、天で栄光をうけるためです。(50章3、204〜205ページ)

あなたにはわたしの罪を容赦せず、きびしいむちをもってわたしを打ちすえ、内に外に悲しみを加え、心配を送られました。わたしはこれに対して感謝いたします。(中略)あなたは天におられる魂の医者であって、打っていやし、陰府(よみ)に伴い下り、また伴い帰られます。あなたの戒めはわたしを導き、あなたのむちはわたしを教えるでしょう。(50章5、205ページ)

こういう時は賎(いや)しい外部の仕事にのがれ、善い行いで元気を回復し、堅い信頼をもってわたしが来ることと天からの恵みとを待ちのぞみ、わたしが再びあなたを訪ねて、あらゆる心配より解き放つまで、辛抱強く自分の追放と心の乾きに耐えることは、あなたにとって良いことである。わたしはあなたにその労苦を忘れさせ、内なる平静を十分楽しませよう。わたしは聖書の楽しい野をあなたの前にひろげよう。(51章2、208ページ)

主なる神よ、それ故、わたしはあなたにわたしの全き希望と避け所を置きます。わたしのすべての苦難と苦悶(くもん)とをあなたにゆだねます。あなたの外に見出すものはことごとく弱くてはかないものであるからです。あなた自身がわたしを助け、救い、強め、慰め、教え、また守られるのでなければ、多くの友も益せず、強い援助者も助けず、賢明な助言者も有益な答を与えず、学者の書物も慰めを与えず、どんな貴い物も救い出さず、どんなひそかな快い場所もかくまうものではありません。(59章3、230ページ)

第4篇 聖餐について

わたしは実際顔に汗して働きます。心の嘆きによって苦しめられ、罪の重荷を負わされ、試練に悩まされ、多くの悪い情欲にからまれ、圧せられています。ああ、わが救い主、主なる神よ、あなたのほかには誰も助ける者も救い出す者もいないのです。わたしは自分と自分のすべてのものをあなたにゆだねます。(5章5、251ページ)

神は永遠にしてはかりがたく、無言の力を持ち、天地の間に大きな究めがたい事をなされる。この驚くべきみ業を探ね出すことはできないのである。もし神のみ業が人間の理性によってたやすく悟られるものであるなら、それらは驚くべきものとも、言いがたいものとも呼ぶことはできないであろう。(18章5、284ページ)

※ この記事は、トマス・ア・ケンピス著、池谷敏雄訳『キリストにならいて(改訂版)』(新教出版社、1984年)を基に執筆しています。

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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)

1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。