ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」その人は言った。…「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」…その場で彼を祝福した。そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。(創世記32:24~30)
6月15日は、私たちの教会堂が献堂されて40周年の記念日でした。神学校は来年の5月に40周年を迎えます。40年は聖書の中で、ひとまとまりの区切りのよい時代として出てきます。一つの時代を教会の皆さんと歩んでこられたことは、豊かな恵みでした。これからの40年も教会に与えられたビジョンを忘れず、しっかり福音を宣べ伝えていきたいと思います。
今日の聖書箇所は、不安でたまらなかったヤコブの様子が語られています。実は、ヤコブは双子の兄エサウから長子の祝福を奪い取り、詐欺師のような行いをして、兄と二度と会わないように伯父の元に身を寄せます。
今日の物語は、けんか別れした2人が再び出会う直前の物語で、ヤコブが決断して兄の所に戻る場面です。もちろん、自分が犯した罪を謝るつもりでしたが、会うやいなや、エサウに殺されてしまうかもしれないという不安で、エサウの領地に入る川を子どもたちに渡らせた後も、自分だけは渡れずに残ったのでした。
彼はそこで神の人と明け方まで格闘し続けたのです。彼は「私を祝福してくださらなければ去らせません」と食らいついたのです。このヤコブの姿から、神様の祝福と癒やしを勝ち取るための3つのことを分かち合いたいと思います。
1. 自分が心の奥底から求めているものを知る!
自分の求め、願い、あなたの人生にとって本当に大切なものを、自分でしっかりと知っているでしょうか。ヤコブは、そのことが分かっていました。
彼は父や兄をだますという卑怯な行為をして、今の時代ならば逮捕されていたかもしれません。でも彼は、何としても神の祝福が欲しかったのです。それは、単に2番目に産まれたから悔しいというだけでなく、神の祝福を求める気持ちは何十年たってもなくならない、本質的な求めでした。
粗野でわがままだったけれど、彼は自分が本当に求めているものを理解していました。
2. 求めているものを手にするための行動を取る!
ただ願望を表明するだけで、行動が伴わないということはありませんか。ヤコブの兄に対する行いは、世の中の常識からは許されなかったでしょう。でも、聖書の他の箇所を見れば、神は「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」とまで言われています。
天地宇宙を創られた正義の神でありながら、無茶苦茶なことをしながらも一生をかけて神の祝福を求めたヤコブを、神は大切に思ってくださったのです。そして聖書は、イスラエル人と出会われた神を「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と呼ぶようになったのです。
それは、ヤコブが自分の欲しいものを手にするために神の御使いであろうと格闘するほどに、神の祝福を求めたからです。
3. 求めているものを手にするまで決して諦めない!
ヤコブは格闘をやめなかったのです。彼は、御使いに打たれて傷害が残るほどしつこく、求めることをやめませんでした。
私たち一人一人の信仰生活でも「神からの御使いを去らせません。私を祝福してくださるまでは、帰すわけにはいきません」と、わがままなくらいに強烈に、神からの祝福と御業を求めることを諦めないようにしたいのです。
今日の病の癒やしも、どうしても必要なのですと、熱烈に求めて祈りましょう。
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