
『Gゼロ時代の津波石碑―再び天上の神様と繋がる日本―』という拙著の一部を要約して、コラムの連載を書かせていただいているが、中盤の6章、7章の内容は、仏教や神道とキリスト教のつながりに関するものである。私は、これらを書くに当たり、レムナント出版代表の久保有政先生から学ばせていただいた事柄が多くあった。
久保先生はこのほど、新たに『仏教もキリスト教もよくわかる本』を出版された。私も早速読ませていただき、改めて両者のつながりについて学ばせていただいた。本書は、仏教とキリスト教の教えを比較することで、両者の共通点、相違点、関連性などが深く、そして分かりやすく理解できる良書となっている。
このような背景があり、今回のコラムを書くに当たって久保先生に、著作をベースとした対談インタビューを申し込んだところ、快く引き受けてくださった。今回は、特別にその対談動画の冒頭部分を、一部修正して紹介させていただく。
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【冒頭・導入部】
山崎:本日は、大乗仏教とキリスト教の関係について、久保有政先生をお招きし、いろいろとお話を伺っていきたいと思います。私の場合は、親もクリスチャンでしたので、子どもの頃から先生の雑誌が家にあった状況で、多くのことを学ばせていただきました。特に『レムナント』という雑誌は、かなり前から刊行されていますよね。
久保:ええ、もう40年ぐらい前からやっていますね。これまで出した『レムナント』を平積みしていきますと、富士山の高さ以上にはなると思います。
山崎:それはすごいですね。ところで、そもそもオリジナルの仏教の教えのコアな部分というのはどういったものだと、先生はお考えになっていらっしゃいますか。
久保:オリジナルの仏教は、日本人が普通仏教に対して抱くイメージとは全く違うものなのです。元々のお釈迦(しゃか)様の教えというのは、輪廻(りんね)転生からの解脱、涅槃(ねはん)に入るということです。
私たちは「輪廻転生する」と言いますと「また生まれ変わって良いじゃないの」という感じがあると思いますが、元々お釈迦様とか当時のインド人が考えた「輪廻」というものは「苦しみ」なのです。今の世界でさえも苦しいのに、別の世界に行ったらもっと苦しい。それが永遠に続くのであれば、もうはるかに苦しいものだということで、その輪廻の輪から抜け出さなければいけない。それを「解脱」と言うわけです。
山崎:なるほど。そこから歴史の中で、大乗仏教というものが発展していくことになると思うのですが、元々のお釈迦様が説いた仏教と、この大乗仏教というのはどのように異なるものなのでしょうか。
久保:まず大乗仏教、これは紀元1世紀後半以降、使徒トマスがインドに来た後にできた仏教です。その大乗仏教においては、まず「罪」という観念、それから「悔い改め」、「永遠の仏」と言われる神的な存在者、また「浄土・仏国土」という天国のような存在が出てきます。
そして、大乗仏教の前は自力仏教しかありませんでした。つまり「自分の力で悟り、解脱して涅槃に入る」というものです。今度はしかし「他力仏教」と言って、他の力を借りて成仏・救われるという観念に変わってきます。
つまり、阿弥陀仏とか、その他の素晴らしい仏様の力によって「今この煩悩具足の、本当にどうしようもない私だけれど、救われる」という教えに変わってくる。あるいは永遠の命というものを説くようになり、これはキリスト教の観念そのものなのです。これはもう、お釈迦様が説いた仏教とはまるで違うものになっていて、キリスト教のような仏教に変わっちゃっていると。それが大乗仏教なのです。
山崎:なるほど。確かに「悟り」とは、心の中で自らが四苦八苦を受け入れ、執着を離れて心の静寂を保つというように、自らの内面の営みというイメージですが、大乗(大きな船)というと、他者に依拠する救済的な教えになっていくということですね。ところで、大乗の中でも「阿弥陀仏信仰」というのをよく聞きますが、それは初期からあったものなのでしょうか。
【阿弥陀仏の起源と使徒トマスの教え】
久保:いや、初期の仏教には全くなかった教えで、お釈迦様が説いた教えの中には阿弥陀仏というのは出てこず、それが出てきたのは1世紀後半からです。これは、阿弥陀仏を信仰し、「南無阿弥陀仏」と名前を唱えるだけで救われます。「南無」というのは「帰依します」という意味で、ナムアミダブツで「私は阿弥陀仏に帰依します」という意味です。だから、名前を唱えるだけで救われるという教えであり、実は使徒トマスがインドに行って説いた教えが、仏教の中に入ったものなのです。
使徒トマスは、西暦52年にインドにやって来て「主の御名(イエスの御名)を呼び求める者は誰でも救われる」という聖書の教えを説いて回ったわけです。それが仏教の中に入っていき、そして阿弥陀仏に関する仏教経典が作られていきます。だからそれは1世紀後半以降に作られてきます。
【年代的な疑問(釈迦とキリストの前後関係)への回答】
山崎:なるほど。一般に、仏教はキリストよりも約500年古いではないか、なのに仏教がキリスト教から影響を受けたというのは、年代的におかしいのではないかという人もいると思います。ところが、大乗の経典が書かれていったのが、キリストの時代以降と一致するということですね。
久保:はい、そういうことです。お釈迦様の生きていたころはイエス・キリストの前の時代ですから、お釈迦様の方が古いのです。大乗仏教というのは「大きな乗り物の仏教」と書きますが、本当に修行した人しか救われないという既存の上座部仏教ではなく、たくさんの人が救われるという意味で大乗仏教と呼ぶわけです。これは、使徒トマスがインドに来たその後に作られた仏教なのです。だから、大乗仏教の経典は全て1世紀後半以降、2世紀の間に書かれています。
山崎:そうすると、釈迦から600年、700年後に書かれたということになるのですか。
久保:そういうことです。
【竜樹(ナーガールジュナ)への影響】
山崎:ナーガールジュナ(竜樹)という方が大乗仏教の祖とよく言われていますが、その方に使徒トマスが影響を与えた可能性があるということでしょうか。
久保:そうですね。竜樹という人は、大乗仏教の大元の人の一人であるわけですが、その彼は2世紀、3世紀ぐらいの人なのです。つまり、使徒トマスの後の人です。そして、トマスが伝道したとき、インドにもキリスト教徒になる人たちがたくさん増えていったわけです。
キリスト教は、イエス・キリストを信じれば救われるという非常に簡単な教えなのです。ところが、それまでの上座部仏教というのは、修行した本当に少ない人しか救われないものだったわけです。だから、仏教の人たちや一般のインド人は「こんなに簡単に救われるんだ」と、キリスト教に衝撃を受けるわけです。
単純に信じるだけで救われるというその教えが仏教の中に入っていき、仏教的な形に変えられていった。それをまとめていったのが、竜樹という人であった。それをまた経典化していく。だから彼の書いたものを読んでみると、「あ、これはキリスト教に刺激を受けたな」「キリスト教を仏教的な言葉に言い換えたものだな」ということがたくさんあるわけです。
山崎:「その名を呼べば救われる」という救いの構造、天国的な、浄土的なものとか、そういった形で、まさに仏教は大乗仏教になる過程で「救いの宗教」になっていったということですね。
久保:そうですね。
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この後も興味深い話が次々と出てきたが、長くなるため、今回はここまでにしたい。全編を視聴したい方は、こちらの動画をご覧いただきたい。また、先生の著書『仏教もキリスト教もよくわかる本』の方でも、より詳細に資料付きで分かりやすく書かれているので、ぜひそちらも手に取ってみてほしい。
さて、ここで終わると、キリスト教会側からの一方的な見解であり、「布教目的だ」「我田引水だ」と言われるかもしれない。そのため、呉智英氏の仏教入門書の内容を紹介させていただきたい。呉氏は『つぎはぎ仏教入門』という非常に分かりやすい良書を書かれているが、彼は同書132ページの「一神教化する仏教」という項目の中で、このように解説している。
浄土教の特徴は、「覚りの宗教」である仏教を一神教の構造を持つ「救いの宗教」に変容させたことである。容易に想像できるように、これはキリスト教によく似ている。しかし、このことが公然と指摘されることは稀(まれ)である。読者が限られた専門論文を別として、私の知る範囲では岩本裕『佛教入門』(中公新書)で論じられているぐらいである。浄土宗・浄土真宗にとってキリスト教の傍流(ぼうりゅう)扱いされることは都合が悪く、また仏教学者が同時にこの宗派の僧侶であったりして直接間接に研究の便宜を受けているため、このことには触れにくいのだろう。しかし、ここにまで踏み込まなければ教義検討をも含む本当の仏教論議はできない。
また、呉氏と対談をした仏教徒である宮崎哲弥氏も、呉氏の上記のような言葉を受けて「(大乗仏教について学者たちの間では)景教(キリスト教)の影響を受けているとも言われていますよね」とコメントしている。
このように、キリスト教の学者である久保先生と、仏教の専門家たちの見解に通底している考え方があるのを見て、私はこれらの事柄に強く興味を持つことになった。皆様は、どのように感じられただろうか。
終わりに
さて、対談を始める前に、久保先生と少し話をさせていただき、非常に深く共感した点があった。私たちは、専門知識や新たな歴史ミステリーを伝えるために言論活動をしているわけではない。また、大乗仏教に対してキリスト教の優越性を示したいわけでもない。実際に、今回のような共通点も多く見いだせるが、仏教には仏教固有の優れた面が少なからずある。
私たちがこれらのことを発信する理由は、日本人にキリスト教信仰を理解してもらうためだ。つまり、日本人が先祖代々大切にしてきた信仰心や大いなる存在を敬う心をいたずらに否定することなく、福音(救いの知らせ)を多くの人に伝えられればという思いが根底にある。それは、日本で阿弥陀仏信仰が広まった時代に、戦乱、飢饉、疫病の中にあったのと同様に、今日においても多くの人が、孤独、虚無、経済的困窮などの故に不安の中にあるからだ。
今回の対談を通して、大乗仏教信仰とキリスト教信仰が、異質でかけ離れたものではなく、一種の連続性の中にあることを感じ取っていただけたのであれば幸いである。この点は、久保先生の著書の最終章「隠れキリスト教国・日本」という章でも強調されている。
■ 動画:【久保有政氏に訊く】仏教とキリスト教の繋がり|阿弥陀仏・他力救済・景教の謎
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