聖書は1日を「日没から始まるもの」として考えます。「働いて疲れたら休む」のではなく「まず休み、それから働く」のです。
イスラエルで20年間士師を務めたサムソンの人生を通して学びたいと思います。御使いがサムソンの両親の前に現れました。夫婦には子がなく、妻は不妊でした。そんな二人に「預言の言葉」が告げられました。そして、預言の言葉通りにサムソンが生まれました。
サムソンは神との特別な関係を持ち、能力や力、容姿において、指導者が必要とする全てを備えていました。しかし、自己中心という致命的な弱さを抱えていました。
サムソンは、失敗から学ぶことをしませんでした。怒りっぽく、衝動的でした。その動機は復讐心でした。さらに、性欲が強くて女性に弱く、やけどをしない範囲での火遊びに興じていました。
ある日、売春婦デリラと出会い、いつものように火遊びを楽しみますが、それが火遊びで終わらず、大やけどを負い、人生を破滅させてしまいました。
失敗は「1回だけ……」とこっそり忍び込んできますが、徐々にエスカレートしていきます。サムソンの失敗の一因は、不健全な交友関係にありました。友達から悪影響を受け、神から与えられた使命に無関心になり、道を踏み外してしまいました。
サムソンの生涯を見てみると、いつも自己中心で心のままに生きました。神様のことはいつも後回しでした。聖書を見る限り、最期を除いてサムソンが神に祈った様子は記されていません。
もちろん、私たちも時には、わがままな祈りや困ったときの神頼みをしたいと思います。しかし、私たちの祈りが、まるで神様を便利屋のように利用するだけの祈りになっていないか、いつも考える必要があります。
サムソンはついに、ペリシテ人に捕らえられ、奴隷とされました。両目をえぐり出され、家畜のように石臼をひかされるようになって初めて、目が覚めました。
しかしそれは、彼の人生全てが崩壊し、取り返しのつかなくなったときでした。まさに「時既に遅し」です。サムソンが初めから神に祈る人だったら、どれだけ偉大な人生を送れたことかと思います。
しかし、聖書は福音です。「人はまいたものを刈り取る」で終わりません。サムソンが窮地で神に祈ると、神が祈りに応えてくださいました。サムソンは、ペリシテの神ダゴンの大神殿に連れて行かれました。そこに数千人のペリシテ人が、サムソンをあざけり、イスラエルの神をこき下ろそうと待っていました。
サムソンは、神殿を支える2本の中柱の真ん中に立ち、渾身の力を振り絞って柱を押しました。すると建物全体が倒壊し、サムソンとそこにいた全員が死にました。サムソンは最後の最後に、今までやってきたことをはるかに超える偉業を成し遂げ、敵であるペリシテ人に勝利しました。
ここに、慰めがあります。人生において、取り返しのつかないような失敗をしてしまって「もうお終いだ!」と感じている人がいたら、サムソンを思い出してください。神は、こんなサムソンでさえ忘れませんでした。ですから、あなたがたとえどんな状況にあるとしても、神はあなたを見捨てません。
サムソンは、ヘブル書11章にある信仰の偉人リストに名を連ねているのです。サムソンが、最後に悔い改めて神に委ねたように、神に立ち返りましょう。神は、あなたを縛り付けていたくびきから解放し、あなたを用いられます。
神は生きておられます。神に祈り、神の導きの中を生きてまいりましょう。
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