
イスラム社会において、宗教とは単なる個人の信条ではない。それは家族の絆であり、文化の基盤であり、社会に属するための基本的なアイデンティティーである。そのため、キリスト教への改宗は、それまでの人生の全てを失う、完全な追放を意味することが多い。
しかし今、トルコをはじめとするイスラム圏の深部で、全く新しい、そして静かな地殻変動が起きている。それは、イエス・キリストに出会いながらも、自らの家族やコミュニティーを「捨てる」ことなく、その文化のただ中に留まりながら密かに主に従うという道である。
トルコで生まれ育ったヌルセン・アフメドの人生は、このような有り様を象徴している。彼は聖書と個人的な体験を通してイエスと出会い、キリストの劇的な愛に触れて心が作り変えられた。かつて彼を縛り付けていた呪術的な習慣や悪霊の束縛は打ち砕かれ「イエスを主として受け入れたとき、私は驚くべき自由を体験しました」と彼は証しする。
しかし、彼の歩みが特異なのはここからだ。彼は「キリスト教徒」という新しい宗教的ラベルを貼って共同体から離脱するのではなく「イエスに従うイスラム教徒」として留まることを選んだのである。
彼は自らの文化を拒絶するのではなく、キリストの光に照らして再解釈し始めた。神の御心に反する習慣は退け、断食や施し、定時の祈りといった慣習は、生ける神との関係と聖書に根ざした新しい意味を持って実践し続けた。
安全上の理由からこのような証しが表に出ることはまれだが、同様の歩みをする信者たちのネットワークは確実に広がっている。現場で仕える働き人たちは「彼らの活動は決して派手ではありませんが、極めて現実的で力強いものです」と語る。
イエスが私たちに求めたのは、特定の宗教的ラベルを身にまとって社会から孤立することではなく、どこにいても「神の国」を生き、愛を実践することであった。長い間、福音宣教の面では「閉ざされた国」と考えられてきた場所で、神は人々の生活の根っこを引き抜くことなく、優しく、しかし抗いがたい力で、その魂を内側から変革しておられるのだ。
主イエスは言われた。
神の国を何にたとえたらよいでしょうか。それはパン種に似ています。女の人がそれを取って三サトンの粉に混ぜると、全体がふくらみました。(ルカ13:20、21)
彼らは共同体の内側に留まり続け、密かに祈り、御言葉を分かち合いながら、まさに「パン種」のように、内側から静かに「神の国」を膨らませているのである。
トルコをはじめとするイスラム圏で、文化や家族の中に留まりながら密かにイエスに従う信者たちのために祈ろう。彼らが共同体に留まり続け「イエスに従う者」としての純粋な愛と真理を生き、周囲の人々を自然な形でキリストへと導くことができるように。
2つのアイデンティティーの狭間で葛藤や危険に直面している彼らに、聖霊の並外れた知恵と平安、そして識別力が与えられるように。そして、人間の目には見えないこの静かな働きが、強固な社会の土壌の奥深くに神の国の豊かな根を張り巡らせるよう、祈っていただきたい。
■ トルコの宗教人口
イスラム 96・6%
プロテスタント 0・03%
カトリック 0・06%
正教 0・03%
ユダヤ教 0・02%
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