2026年6月10日23時32分

うめき叫ぶ(その2)出エジプト記2章23、24節 藤崎裕之

コラムニスト : 藤崎裕之

不条理なる死を不可知の光で中和せよ─キリスト教スピリチュアルケアとして─(98)

※ 前回「うめき叫ぶ(その1)」から続く。

聖書にはイスラエルの人々が神を忘れていたとは書いていない。まして、神がイスラエルを「忘れていた」と語るのは論外であろう。ではあるが、どうしても私には、相互に忘れていたのではないかと思えてならないのだ。

私は神を忘れてしまうことがしばしばである。それだからこそ教会にはなるべく「真面目」に通うことにしている。神に対して熱心だからではなく、どちらかというと神に対して無関心になりがちだから、教会に行かねばならないと思っている。そういう人間である。

ある人が「芝刈りをしていると神を思い出す」と言っていた。別に芝刈りでなくてもよいのだが、大地に対して働きかけるとき、人は神について思い巡らすのかもしれない。まあ、当たり前のことではあるが。

イスラエルは先祖アブラハムとその末の物語を語り継がなかった。神がアブラハムとの間に結ばれた約束を思い出さなかった。400年以上も故郷を離れ、エジプトで恵まれた生活をしたのだから致し方ないのかもしれない。

出エジプト記1章6節から8節には、イエスラエル人がいかにエジプトで栄えていたのかを記している。その結果、エジプト人からすれば、イスラエル人はとても強く危険な存在だと思われるようになった。

ここで私が注目するのは、イスラエル人が彼らに固有の文化や宗教を頑固に保持しているから「強く危険な存在」になったとは書かれていないことだ。文化的で宗教的であるというのは民族として大事な構成要素なのだが、どうもイスラエル人は文化と宗教をエジプトで拡大させたわけではない。

これは私の見解であるが、もし、彼らが400年間、先祖アブラハム、イサク、ヤコブの生活文化や信仰を守り通していれば、ファラオから迫害されることはなかったかもしれない。なぜなら、寄留の人々が、独自の文化と宗教を持ち、またその人口も多いとなれば、ファラオとてやすやすと彼らを迫害し、強制労働を課すことは難しかったと思うのである。

多くの人口を有する民が独自の文化と宗教を持ち、大勢力として存在しているなら、政治側はものすごく気を使う。なぜやすやすとファラオがイスラエルを虐げることができたのか。それは、彼らには先祖の記憶や尊敬もなく、先祖が結んだ神との契約を忘れ去り、ただ数だけが多かった、つまり、根無し草的な民に過ぎなかったからではないかと思う。

私は日本の伝統と文化、その習俗について尊敬はしているが、のめり込んでいるわけではない。正直なところ、自らのキリスト教信仰と「日本本来の形」を自らの中で共存させることは難しい。だから「日本人」として失格、とは思っていない。日本にとってキリスト教は新興の文化であり宗教ではあるが、それでも「ない」よりはマシだと思っている。

さて、本論に戻るが、イスラエルは神を忘れていた。だから祈りではなく、うめき叫ぶしかなかった。しかしその声は神に届いたのだ。なんとも逆説的なことだと思う。イスラエルの末として信仰深く、尊敬される姿勢を持って生きていたから、神が彼らの声を聞いたのではない。

神の耳は不思議である。われわれの全知を超える。われわれの考えを吹っ飛ばす。神を忘れていた人々をわれわれは責める。それはけしてよろしいことではない。そのようなことがないように礼拝に赴き、できる限り神に思いを寄せつつ日々を過ごそうと努力する。そう、努力である。

喜びをもって神に祈れ、と幼い時から教えられたが、実際は結構な努力を積み重ねながら、なんとか神から離れないようにしているだけだ。神から見ればそれは徒労であり、無駄な努力であるのかもしれないが、人間側としては精いっぱいの誠意を込めている。つもりだ。しかし、大事なことは、そのような人間の意思を神は超えておられるということだ。神の耳は不思議なのだ。

神はイスラエルのうめきと叫びを聞いて、アブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約を思い起こされた。時が来たのだ、イスラエルの人々が先祖の土地に帰る日、再び、神との契約に生き直す時が。

われわれはイエス・キリストとの間に結ばれた契約の時を生きている。そして、その契約は世の終わりまで続くことを知っている。「うめきと叫び」ではなく、祈りとしてイエス・キリストに聞かれることを確信できる、そういう日々であれば最高なのだが……。(終わり)

<<前回へ

◇

藤崎裕之

藤崎裕之

(ふじさき・ひろゆき)

1962年高知市生まれ。明治から続くクリスチャン家庭に育つ。88年同志社大学大学院神学研究科卒業。旧約聖書神学専攻。同年、日本基督教団の教師となる。現在、日本基督教団隠退教師、函館ハリストス正教会信徒。