2026年6月4日16時34分

「聴く隣人のいるところ」 キリスト教高校の1年間が伝える「自由とは何か」問う大切さ

執筆者 : 臼田宣弘

「聴く隣人のいるところ」 キリスト教高校の1年間が伝える「自由とは何か」問う大切さ
映画「聴く隣人のいるところ」 / 6月6日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開。© ポレポレタイムス社

本作は、島根県の全寮制高校であるキリスト教愛真高校の1年間を追ったドキュメンタリー映画です。同校は、戦後日本の無教会運動を代表する伝道者・聖書研究者である高橋三郎氏によって設立が提唱され、1988年に開校した学校です。牧師という職業柄、高橋氏の著作は何冊も読んだことがあり、特に聖書講解シリーズからは多くの示唆を受けてきました。

本作の試写を初めて観たとき、私自身の高校時代とは全く違う様相に驚かされ、「こんな学校に行けたら良かったな」と思わされました。しかし、本稿執筆のために何度か観ているうちに、「いや、私の高校時代も、それはそれで良かったのだな」と思うようになっていきました。

私は、体育会系の部活動が盛んで、全国大会クラスのチームや選手を輩出している男子高校で青春を過ごしました。私自身も、陸上競技という、非常にシビアな勝負の世界がある種目の部に所属していました。高校生という多感な時期に、それなりに自分の体と精神力の限界に挑戦する環境に身を置いていたわけです。

運動部の競技では、他者に勝たねばなりません。しかし、そこで最終的に学んだことは、「自分自身に勝つ」ということだったと思います。それは孤独なことでありました。私自身は、他者に抜きん出た秀でた選手になることはできませんでした。しかし、あの3年間は、私にとってはかけがえのない期間でした。その後の人生において、少々のことではめげない、孤独を相対化することのできる自分自身を形作った期間だったのだと思います。

ただし、私はその自分を理想化するつもりはありません。それはあくまでも私の生き方であり、他の人の生き方は尊重しなければならないと考えています。

「聴く隣人のいるところ」 キリスト教高校の1年間が伝える「自由とは何か」問う大切さ
© ポレポレタイムス社

愛真高校は、全校生徒が40人に満たない小規模校で、体育会系の部活動をやっている気配はありません。スポーツといえば、放課後に体育館でバスケットボールを楽しんでいる様子が映し出されるだけです。その点で本作は、自分の高校時代もスポーツという観点においては恵まれていたのだと気付かせてくれました。

半面、この学校のうらやましいところは、いつも音楽がそばにあることです。体育会系でありながら音楽好きであった私は、高校時代に音楽をやりたくて仕方なかったのですが、仲間がいませんでした。それでも、希少な音楽好きの生徒を探し出して一緒にやっていました。しかし、愛真高校のように、学校生活そのものが音楽であるような環境には程遠く、うらやましく感じました。ただし私自身は、高校卒業後に音楽専門学校に進学し、そこでは3年間みっちりと、今度は音楽を学ぶことになりました。

「聴く隣人のいるところ」 キリスト教高校の1年間が伝える「自由とは何か」問う大切さ
© ポレポレタイムス社

さて、愛真高校は、何をするにしても皆で話し合いながら進めます。映画は、2024年度から25年度の初めまでを収めていますが、24年度の1学期には、寮にIH調理器を入れるかどうかの話し合いがもたれています。現状は電気ポットがあるだけで、インスタントラーメンもその中に放り込んで作るという状況だったようです。

電気ポットのお湯で紅茶を入れると、たまにインスタントラーメン味の紅茶になってしまう――。そんな理由から、IH調理器の導入に賛成する生徒もいました。しかし、意外なことに、「愛真らしさ」を守るという理由から、導入に反対する意見も幾つも出されます。

最後は、3分の2の賛成を必要とする採決がなされますが、全体数が45人と告げられます。全校生徒が40人に満たないはずなのになぜ?と思いますが、そこには教職員の数も含まれているのです。教職員も生徒も対等。そこに、愛真高校の一つの特徴があるのでしょう。

「聴く隣人のいるところ」 キリスト教高校の1年間が伝える「自由とは何か」問う大切さ
© ポレポレタイムス社

1学期も終わり、夏休みになります。ここで、高橋氏と思われる人物が写った写真や、「みなさん 自由であってください。そうして 真実であってください」という高橋氏の署名入りの詞(ことば)が映し出されます。映画は、この「自由とは何か」を学ぶことの大切さを、始終描いているように思います。

2学期は、実家に帰省する夏休み中は使用が許されていたスマートフォンを回収するところから始まります(今の私にはこれは無理かな?)。この学期は、文化祭の劇や演奏に向けて進行していきます。そのプロセスにおいて、皆が自分の意見を出し合いますが、出される意見の一つ一つに、一人一人が真剣に向き合います。

愛真高校では、「夕会」と呼ばれる礼拝があり、そこで語られる生徒たちの「証し」は、作中で取り上げられています。その内容はそれぞれ聞きがいがあります。キリスト教や聖書に対する疑問も、率直に出されます。そして何より、それらを「聴く隣人」として、生徒や教職員たちがいることは非常に大きなことなのでしょう。

「聴く隣人のいるところ」 キリスト教高校の1年間が伝える「自由とは何か」問う大切さ
© ポレポレタイムス社

3学期は、卒業式に向かって話が進んでいきます。自分たちで作ったカレーライスを最後に食べ合うシーンが印象的でした。卒業式の後、在校生たちは「バイバイ、また元気で会いましょう」と言って卒業生を送り出します。そこには、別れの悲壮感はありません。そして、淡々と新しい年度が始まっていく様子が映し出され、映画は終了します。

前述したように、この映画の重要な主題は、「自由とは何か」を学び、その意味を問い続けることだと思います。それは、高橋氏の著作にも繰り返し現れる主題です。一見すると、自由などないように見える体育会系の世界に身を置いた私のような者にとっても、この問いは無縁ではありません。むしろ、そうした環境にいたからこそ、人は人生を通じて自由の意味を問い、自分なりの答えを見いだしていかなければならないのだと、この映画は気付かせてくれました。

愛真高校は確かに素晴らしい学校です。しかし、どのような学校であっても、「自由」や「隣人」といった主題を持ち合わせていないことはなく、人にそれらを考える機会を与えてくれるのだと思います。だからこそ私は、自分の高校時代を改めて捉え直すことができました。観る者に自らの歩んできた道を見つめ直させ、自由と隣人の意味を問わせる──そこに、この映画の価値があるのだと思います。

■ 映画「聴く隣人のいるところ」予告編

■ 映画「聴く隣人のいるところ」公式サイト

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臼田宣弘

臼田宣弘

(うすだ・のぶひろ)

1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。