
口語訳聖書の刊行70周年を記念する講演会が9日、青山学院大学(東京都渋谷区)のガウチャー記念礼拝堂で行われた。日本聖書協会が主催したもので、昨年『ゲーテはすべてを言った』で第172回芥川賞を受賞した鈴木結生(ゆうい)氏らが講演。約140人が参加した。
2部制で行われ、第1部では鈴木氏が「世界もその書かれた書物を収めきれないであろう」と題して講演。その後、ドイツ文学者で翻訳家の松永美穂氏(早稲田大学教授)と対談した。
第2部では、聖書学者の吉田新氏(東北学院大学教授)が「口語訳聖書と戦後日本のキリスト教」と題して、日本語学者の近藤泰弘氏(青山学院大学名誉教授)が「日本語史からみた聖書の日本語訳」と題して、それぞれ講演した。(第2部の記事はこちら)
講演会では冒頭、日本聖書協会理事長の石田学氏が、自身と「ほぼ同じ年」だという口語訳聖書との思い出を語った。石田氏の場合、最初に手にした聖書も、中学生の時に祖母がプレゼントしてくれた革表紙の聖書も、米国留学時に携えていった日本語の聖書も、牧師としての召命を受けたときの聖書も、最初の赴任先の教会で用いた聖書も、全てが口語訳だったという。その後、新共同訳、聖書協会共同訳と、新しい訳の聖書を用いるようになるが、「私の信仰の原点にあるのは、やはり幼い時からずっと読んできた口語訳聖書」と話した。
一方、2001年生まれの鈴木氏にとって、口語訳聖書は「非常にこだわりのあるおじいちゃん、おばあちゃんが使っている聖書」というイメージだった。自身は新共同訳で信仰を育まれてきたと言い、「結生」という名前も、新共同訳の「イエス・キリストに【結】ばれて、神に対して【生】きている」(ローマ6:11)に由来すると紹介。口語訳では「キリスト・イエスにあって神に生きている」と訳されており、「私は存在しないことになる」と話すと、会場は笑いに包まれた。
牧師家庭に生まれた鈴木氏にとって、聖書は幼い時から一番身近な存在だった。ノーベル賞作家のジョン・スタインベックが、「聖書を私は肌を通して吸収した」と語っていたことを挙げ、「幼い頃から、私はまさにスタインベックの言うように、聖書の物語を肌を通して吸収してきたように思います」と話した。
鈴木氏は特に、子どもでも聖書の世界を実感できるよう、さまざまな工夫が凝らされていた教会学校の思い出を語った。出エジプト記の「マナとうずら」の物語では、マナに似せたパンを作って食べさせ、信徒が飼育していた本物のうずらを見せてくれた。ヨナの物語では、子どもたちを魚に見立てた大きなビニールの中に入れ、「きちんとお祈りできたら出してあげる」というアクティビティーもあった。牛乳パックで作った大きな十字架を担いだり、聖書の時代の灯(ともしび)を再現して作り、暗闇の中を歩く体験をしたりした。
やがて自然にクリスチャンになりたいと思うようになった鈴木氏は、小学2年の時にバプテスマ(洗礼)を受けた。しかし、その翌年に東日本大震災が発生。鈴木氏の父親が牧会していたのは福島県の教会で、震災後は基本的に外出が許されない環境が続いたが、その中でますます「作ること」「書くこと」に熱中するようになったという。そして、聖書の通読を始めたのもこの頃だった。
「聖書は1日1章ずつ読むと3年で読み終わる」。そう父親から教えられていたことから、1日3章ずつ読み、10歳の時に1年で通読を達成。聖書を読み終えると、今度は聖書と関係のある本を読むことに興味を持つようになっていった。
「世界中の全ての本を読んでみたい」。そう思うと同時に、「世界の全てが書かれた一冊の本があれば便利なのに」とも考えるようになった。たくさんの本が詰まった重たいバッグを背負って避難所を巡った経験も、そう考えるようになった一因だったと振り返る。
小学6年の時に福岡県へ引っ越すと、福島時代の記憶を書き留めようと、初めての小説『スケッチブック』を書いた。以来、毎年のように長編小説を書くようになった。父親は、新しい作品ができる度に製本をしてくれ、それが大きな喜びだったという。
この頃になると、文学好きにも拍車がかかり、さまざまな古典作品を読みあさった。それでも「世界の全てが書かれた一冊の本」はなかなか見つからない。やがて「自分で書くしかないのではないか」と思うようになり、その中で作家としてデビューする道が開けていったという。
自身の人生を足早に振り返った後、鈴木氏は「本来は聖書だけ読んでいればそれでいいはず」と認めながらも、小説として「世界の全てが書かれた一冊の本」を書くために考えている「5つの戦略」について語った。
「これはつまるところ、過去の文学者たちが聖書を自分の文学としてどう翻案してきたかという歴史と重なるものです」。鈴木氏はそう言い、①聖書の内容を要約して作品とする(要約)、②作品の中に聖書の物語を組み込む(包含)、③映画やドラマのスピンオフのように、聖書から派生した新たな物語を創作する(外典・異説)、④聖書の物語の内容を膨らます(増幅・補填〔ほてん〕)、⑤新しい聖書の物語を創作する(新しい聖書)――の5つを挙げ、それぞれに分類できる具体的な作品例を示しつつ説明した。
最後に、季刊小説誌「小説トリッパー」で今年3月に発表した最新作『猫にバイブル』を紹介。以前から両親と「聖書にはたくさんの動物が出てくるが、猫だけは出てこない」と話していたことにアイデアを得たことなどを明かし、次のように語って講演を締めくくった。
「私はずっと文学と信仰という2つの相反するように思えるものの間で揺れながら、その中で神様の恵みをたくさん見てきたと思っています。それに対する自分自身のラブレターとして、今回一つの作品(猫にバイブル)を書きました。これからもひたすら聖書を読むということが自分の創作の原点にあるように祈りながら、歩んでいきたいと思っています」
松永美穂氏との対談では、福島時代に自宅だった教会に隣接する建物で火災が発生し、逃げ出したとき、とっさに持ち出したのが聖書だったエピソードを紹介。一方、鈴木氏の後を追って逃げてきた母親は、なぜかこれから干す濡れた洗濯物を持っていたことも明かし、会場の笑いを誘った。
また、『猫にバイブル』では、イエスが猫を抱く場面の構想もあったが、「(作中で)イエスを動かすのは、信仰的に相当気合を入れないといけない」と言い、結局断念したことを告白。一方、チャールズ・ディケンズの『主イエスの生涯』に着想を得て製作され、今年3月に公開されたアニメ映画「キング・オブ・キングス」では、その場面があったとし、「先を越された」と思ったことを明かした。
松永氏は中学生の時、おばに連れられて初めてカトリック教会へ行き、その時に米国人神父からもらったのが口語訳聖書だったことを紹介。キリスト教のラジオ番組に影響を受け、自宅で声を出しながら聖書を読み、3、4年かけて通読した思い出などを分かち合った。