2026年5月14日10時33分

ワールドミッションレポート(5月14日):AIと聖書翻訳─テクノロジーの加速と生身の宣教師

執筆者 : 石野博

ワールドミッションレポート(5月14日):AIと聖書翻訳─テクノロジーの加速と生身の宣教師
※ 画像はイメージです。(画像:Photon Photo / Shutterstock)

世界の宣教の歴史において、今ほど劇的なスピードで「言葉の壁」が打ち破られている時代はかつて存在しなかった。人工知能(AI)技術の飛躍的な進歩は、今まさに聖書翻訳の最前線に前代未聞の革命をもたらしている。

これまで、未知の言語や未伝道の部族の言葉に聖書を翻訳するには、言語学的な調査から始まり、数十年という途方もない歳月と莫大(ばくだい)な人間の労力が必要とされてきた。しかし現在、高度な自然言語処理能力を持つAIを導入することで、かつては数十年がかりだった翻訳作業のプロセスが、わずか数年へと劇的に短縮されつつあるのだ。今後この短縮は劇的に進むことだろう。

世界には、まだ自らの母語で聖書を読むことができない言語グループが千数百も存在しているが、このテクノロジーの恩恵により、私たちの世代で「聖書を地球上の全ての言語に」という壮大なビジョンが、かつてないほどの現実味を帯びて迫ってきている。

しかし、技術がどれほど高度化し、文法的に完璧で正確な翻訳が瞬時に生成されるようになったとしても、ある極めて重要な「神学的問い」が宣教の現場から投げかけられている。それは、「テクノロジーの進歩は、生身の宣教師が持つ『情熱』や、聖霊に導かれた『人格的な証し』に完全に取って代わることはできるのか」という問いである。

言葉というものは単なる無機質な情報の羅列ではない。特に神の言葉である聖書には、神の深い愛、悲しみ、そして尽きることのない恵み、それら全てが聖霊の息吹に込められている。その言葉を、現地の文化や歴史、人々の日常の泥臭い文脈に深く根ざした「いのちある」メッセージとして届けるためには、やはりそこに生きる人々と共に泣き、共に笑い、同じ釜の飯を食う「生身の宣教師」の介在が不可欠なのだ。AIは瞬時に正確な単語を選ぶことはできても、現地の人々の苦しみに共感して涙を流すことはできない。

キリストの福音が真の意味で未伝道の人々の心に届き、彼らの人生を変革するとき、そこには必ず「文字としての言葉」だけでなく、その言葉を自らの生き方で体現する「愛の生きた証し」が伴っている。テクノロジーはあくまでも強力な「道具」であり、福音がその地に受肉するためには、聖霊に満たされた人間の器がどうしても必要になる。

現在の宣教団体の間では、このAIという驚異的な道具をどのように賢明に用い、同時に人間としての深い交わりや人格的な証しのバランスをどう保つべきかという、真剣な議論が交わされている。テクノロジーの波を恐れて拒絶するのではなく、かといってそれに依存し過ぎることもなく、ただ主の栄光と魂の救いのために最善の形で用いる知恵が、今まさに教会に求められているのだ。

聖書は言う。

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。(ヨハネ1:14)

ことばに受肉をもたらし、いのちを与えるのは、霊なる御霊の働きに他ならない。

この最先端の宣教の最前線のために祈ろう。AI技術を用いて聖書翻訳に取り組む開発者や言語学者たちに、神からの特別な知恵と洞察が与えられ、御言葉の翻訳作業が正確に、かつ前例のないスピードで前進し続けるように。

同時に、未伝道の地に入っていく宣教師たちに聖霊の満たしが与えられ、AIには決して生み出すことのできない「魂の呼応」と「愛の証し」をもって、現地の人々の心に深く福音が届けられるように。そして、テクノロジーの力と人間の情熱が高次元で調和され、一日も早く、全ての部族、全ての言語の人々が、自分たちの心の言葉で生ける神の御声を聞くことができるよう、祈っていただきたい。

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石野博

石野博

(いしの・ひろし)

2001年より、浜松の日系ブラジル人教会で日本人開拓、巡回伝道者として従事。12年より、奥山実牧師のもと宣教師訓練センター(MTC)に従事、23年10月より、浜松グッドニュースカフェMJH牧会者として従事。18年3月より、奥山実牧師監修のもと「世界宣教祈祷課題」の執筆者として奉仕。23年10月より「世界宣教祈祷課題」を「ワールドミッションレポート」として引き継ぎ、執筆を継続している。