路傍伝道ネットワークの活動がスタートして、8年9カ月が経過しました。教会単位や個人的に考えると、36年間路傍伝道を続けてきました。長くやっているからといって、うまくなったとか、それに長けているということはなく、失敗は数知れず、いつも足りなさ、不十分さを感じてきました。
その中で、特に大切にしていることがあります。それは「一人の信者を作るために、たくさんの敵を作る伝道をしない」ことです。物事には、プラスの側面があるとともに、マイナスの側面があります。仮に、極端で、過激な伝道をしたことで、一人が救われたとします。「一人が救われた!」ということを喜び、そこに焦点を当てて、強調しやすいものです。
しかし、大半の人をドン引きさせるような伝道をして、その他大勢の人がキリスト教に否定的な感情を抱き、キリスト教嫌いな人を作ってしまったとしたらどうでしょうか。路傍伝道をしていると、そういうことをしてしまう可能性があります。感じの悪い演説、強引な個人伝道など、ドン引きするような活動に触れた人は「うさんくさい」「カルト宗教」「異端」「気味が悪い」などと感じるのではないかと思います。
8年前に、路傍伝道をする仲間たちと「よりグレードの高い音楽を目指すべきだ!」という話し合いをしました。しかし「そんな硬いことを言っていたら、やる気を無くしてしまう人が出るのではないか」という意見が出ました。「現状を受け入れつつ、少しでも良い音楽ができるように切磋琢磨(せっさたくま)していきましょう!」ということで落ち着き、賛美集会を始めました。しかし、コロナ禍になり、室内の活動を中止せざるを得なくなり、山手線祈祷会と賛美集会はあれ以来、中止にしています。
話を戻しますが、「一人のいのちは地球よりも重い」と言われます。それに同意します。しかし、その一人を救うためにその他大勢のキリスト教の敵を作らないことも大切です。働き人同士が敵対し合ったり、批判し合ったり、競い合ったりするのではなく、互いに愛をもって認め合い、多様性を尊重し合うことが大切です。
そして何よりも、伝道対象者を尊敬し、本気で愛し、大切に関わることが大切です。そこには、仕える心、謙遜さ、聖さと愛の人格が求められます。イエス様でさえ、願っていない人に救いや癒やしを与えられませんでした。
一人の魂(人)を捜し求めると同時に、たくさんの敵を作らない配慮、愛の心、謙遜さを求めていきたい。路傍伝道ネットワークは、そんな自然体で、自由で、優しさに満ちたグループでありたいと願います。
そんなことを大切に思いながら、一緒に伝道をしたいと思う人は、ぜひ、一緒に伝道をしましょう。互いに愛し合っていく愛を、イエス様が与えてくださいました。イエス様は言われました。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と。この愛の中で、共に生きていきましょう。
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