2025年12月25日15時42分

ワールドミッションレポート(12月25日):中東某国 オペレーション・クリスマス・チャイルド―ダニアとラジオ(2)

執筆者 : 石野博

中東の某国で、キリスト信者となったダニアの両親は、極貧に耐えながらも信仰を守っていた。5歳のダニアはその年、オペレーション・クリスマス・チャイルドの靴箱のプレゼントをもらった。家族と共にその箱を開けると、中には数々のおもちゃと共に、家族で祈っていたラジオが入っていたのだった。以下は、ダニア自身による証しだ。(第1回から読む)

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私たちはその国で7年暮らした後、福音を伝えるために故国に戻りました。しかし、そこでは福音に対する反発が強く、伝道するのに苦労しました。両親が信仰の故に激しく迫害されるのを見て、私は、自分自身が明確にキリストを受け入れる必要があると確信しました。ある晩、寝室で一人、涙を流しながら祈りました。「主よ、私は罪人です。私の人生は全てあなたのものです、イエス様。あなたのお望みのままに私をお使いください」

信者となった私は、学校の先生や生徒たちからいじめを受けました。それでも父は、家でキリスト教の集まりを続けました。公認の教会設立は、認可されることが不可能だったからです。

ある朝、父が開いた時計の販売と修理をするお店に行くと、入り口のドアに油がかけられていました。父はそこにあった警告文を見つけました。「福音を伝えるのをやめろ! さもなくば、この店を焼き払い、お前と家族を殺す!」と書いてありました。それでも私たちは慎重に慎重を重ね、キリストについて語り続けました。すると、人々が救われるようになったのです。

その村で9年過ごした後、状況があまりにも危険になったので、私たちは国を出なければなりませんでした。急を要する出国だったので、靴箱のものも含めて全てを置いて行かなければならず、本当につらかったです。

中東の第三国に移った後、私たちは難民申請をしました。そして祈って待ちました。2010年、申請から1年以上たって、神様が米国への扉を開いてくださいました。

ここに来て2カ月後、教会の女性が私に靴箱の贈り物に携わる仕事をしないかと尋ねました。私はそれまで、靴箱の贈り物がどこから来たのか知りませんでした。梱包センターに到着すると、まるでミツバチのように働くたくさんの人々に驚きました。そして「オペレーション・クリスマス・チャイルド」のロゴが入ったバナーを見上げた瞬間、凍りつきました。これらの箱は、私が受け取った靴箱と同じロゴだったのです。自分が受け取ったのと同じ靴箱を、今度は私が詰めたり処理したりする日が来るとは全く想像すらしていませんでした。

2017年5月、私はノースカロライナ州ウィンストン・セーラムのセーラム大学で教育学の学位を取得して卒業しました。振り返ると、私の靴箱は、モノクロだった幼少期に彩りを与えてくれたものです。それは、両親が教えてくれた「祈りに応える忠実な神」の証拠でした。祈りは強い武器です。貧しかったけれど、祈りは私たちに豊かさを感じさせてくれたのです。神様が私たちにしてくださったことを思うと、今も胸が熱くなります。

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靴箱の小さな贈り物が、子どもたちに「君は大切だよ」という力強いメッセージと共に届くのだ。もしこれらの贈り物が「あなたは大切だ」というメッセージを届けるのなら、なおのこと、神が私たちに賜ったプレゼント「人となられた神の子」なる贈り物は、どれほど私たちが神にとって大切な存在であるのかを力強く訴えてやまないことだろう。

今宵、人となって生まれたもうた神の子をたたえ、父なる神を賛美しよう。メリー・クリスマス!

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石野博

石野博

(いしの・ひろし)

2001年より、浜松の日系ブラジル人教会で日本人開拓、巡回伝道者として従事。12年より、奥山実牧師のもと宣教師訓練センター(MTC)に従事、23年10月より、浜松グッドニュースカフェMJH牧会者として従事。18年3月より、奥山実牧師監修のもと「世界宣教祈祷課題」の執筆者として奉仕。23年10月より「世界宣教祈祷課題」を「ワールドミッションレポート」として引き継ぎ、執筆を継続している。