南米大陸の南東部に位置するウルグアイは、ブラジルとアルゼンチンという大国に挟まれた、穏やかな丘陵地帯と美しい海岸線を持つ国だ。かつては「南米のスイス」と称されるほどの経済的繁栄と民主主義の伝統を誇り、教育水準も極めて高い。しかし、この国を語る上で欠かせないのが、他のラテンアメリカ諸国とは一線を画す「徹底した世俗主義」である。
ウルグアイは、憲法で政教分離を世界に先駆けて確立した国の一つだ。20世紀初頭の徹底した世俗化政策により、公共の場から宗教的色彩が完全に排除された。驚くべきことに、公式カレンダーから「クリスマス」は「家族の日」に、「イースター」は「観光週間」に書き換えられている。南米でありながら国民の半数近くが「無宗教」を自認し、不可知論や無神論が社会の知的階級の主流となっている。まさに、南米において最も福音が届きにくい「霊的な乾燥地帯」とも言える場所なのだ。
この冷ややかな世俗化の空気の中で、福音派の歩みは決して平坦ではなかった。現在、福音派の人口は約6〜7%と言われている。カトリックの影響力さえ限定的なこの国で、プロテスタント教会は常に「異質な存在」として見なされてきた。しかし、近年のカトリック教会のスキャンダル、社会不安や家庭の崩壊、そして若者の間に広がる虚無感の中で、既存の価値観では埋めることのできない「心の渇き」が静かに表面化しつつある。
首都モンテビデオで活動するある現地の牧師の声を紹介しよう。
「ウルグアイの人々は非常に理性的です。感情的な伝道には耳を貸しません。しかし、彼らは孤独の中にいます。私たちが隣人として仕え、知的な対話と変わらぬ愛を示し続けるとき、彼らの心の盾が少しずつ外されるのを感じます。奇跡的な癒やしや劇的な体験よりも、生活の中に現れるキリストの品性こそが、この国では最大の証しとなるのです」
実際に、アルコールや薬物依存からの回復支援、貧困層への教育支援といった教会の社会奉仕活動を通じて、福音が少しずつ地域社会の信頼を勝ち取っている。特に、これまで教会に対して批判的だった中間層や知識層の間でも、家庭問題の解決を求めて小グループ(セル・グループ)に足を運ぶ人々が増え始めている。
ウルグアイの教会が直面している課題は、指導者の育成と教会の質的な成熟だ。多くの牧師が二足のわらじを履きながら献身的に奉仕しているが、神学的訓練を受ける機会は限られている。また、世俗主義の影響を強く受けた若い世代に、いかにして聖書の普遍的な真理を伝えていくかという大きな課題が横たわっている。
この「南米の例外」と呼ばれる空白地帯に、聖霊の新しい風が吹くように祈ろう。知的プライドや無関心という壁が崩され、イエス・キリストこそが人生の真の土台であることを国民が知るように、教会が社会への奉仕を通じて「地の塩」としての役割を果たし、世俗化の波にあらがい、キリストの福音が、ウルグアイ全土に解き放たれるよう祈っていただきたい。
■ ウルグアイの宗教人口
カトリック 54・9%
プロテスタント 8・4%
ユダヤ教 0・8%
無神論 27・4%
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