2025年12月15日14時15分

聖なる励まし 穂森幸一

コラムニスト : 穂森幸一

それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥儀であるキリストを真に知るようになるためです。(コロサイ人への手紙2章2節)

「励まし」という言葉はとても素敵ですが、本当に他の人を励ますことほど、難しいことはないと思います。限界ギリギリに精いっぱい頑張って息も絶え絶えの人に「頑張れ」と声をかけても、「これ以上どうするのかよ」となってしまいます。川で溺れて、もがいている人を見かけたら、下手に声かけするよりも、一本のロープを投げてあげた方が助けになります。

応援のつもりで叱咤(しった)激励しているうちに、苦しんでいる人を裁き、さらに苦しめてしまうこともあります。私が、牧師をしていた教会を追い出され、苦しい思いをしているときに、追い打ちをかけるようなことを言ってきた人もいます。

「大変だったね」と言いながら、「あなたにも反省するところがあるかもしれないよ。悔い改めなさい」と言ってきました。本当の励ましは、その人に寄り添うところから始まります。同じ目線に立ち、やさしい気持ちで包み込むことが必要です。愛にあふれた神の御手が心に触れるよう祈ることしか、できないはずです。

東日本大震災という未曾有の災害が起きたとき、鹿児島県宗教者懇和会を立ち上げ、教会寺社での募金、街頭募金などにより、支援活動を行いました。お坊さん方の中には、倒れた墓の再建に協力する人もいました。また、教会を代表して救助品を届けるボランティア活動に参加した人もいました。鹿児島の地にあっては街頭に立って募金活動を行い、できる範囲で応援しました。

宗教者懇和会の集まりのとき、「災害地の最前線で活躍した人の話を聞いたら、状況がさらに分かるのではないか」という提案が出されました。懇話会のメンバーのつてを使って自衛隊員の話を聞けたらということで、自衛隊員と日赤病院の看護師の話を聞く会が持たれることになりました。

日赤の看護師は寝食を忘れて被害者の治療に当たった様子を話してくださいましたが、「私は無力です。被害者の方々がどんどん息を引き取っていかれるのに何の役にも立ちませんでした」と泣き崩れてしまいました。自衛隊員は「泥をかき分けていたら、赤ん坊を抱いた母親が見つかりました。もしこれが自分の家族だったらと思うと、フリーズして動けなくなりました」と言って涙を流していました。

私はこの光景を見たときに、彼らにとてもつらい体験を思い出させてしまったことが分かり、大変申し訳なく思いました。体力の限界ギリギリまで働き、精神的にもずたずたになり、PTSDに苦しめられていることが分かりました。

自衛隊の方々は、国民の財産と生命を守るため、最前線で命を懸けて最善を尽くしています。ところが、部隊移動中には「戦争反対、人殺し」と罵声を浴びせられることもあるそうです。

水が欲しくて、制服のままコンビニまで買い物に行くと「自衛隊のくせにコンビニに行った」と非難されるそうです。だから、水や食料品など必要なものは全て事前に準備するそうです。また、救助活動の現場で食事をしているのを見られたら、非難する人がいるかもしれないので、車の陰などに隠れて気を使いながら食べているそうです。

私はこの話を聞きながら、とても悲しくなりました。平和を叫ぶことは大切ですが、最前線で守っている人々がいるからこその平和だということを忘れてはいけないと思います。最近、高市内閣では防衛省の予算を増額し、ぼろぼろになった宿舎の建て替えと隊員の部屋の個室化を図り、さらに年収を20万円アップすることになったそうですので、とてもいいことだと思います。

私は、教会とは何だろうかと考えることがあります。もちろん、キリストを信じている人々の群れ、エクレシアだということは分かります。しかし、それは主義主張を同じとするだけの群れであってはならないと思います。

聖霊の働きによって互いに赦(ゆる)し合い、政治的に左派であっても、右派であっても、キリストにあって一つとなり、「力強い励まし」(ヘブル6:18)を受ける所ではないでしょうか。あの交わりに参加したらとても元気が出た、勇気が与えられたとなればいいのにと思うのは、私だけでしょうか。

一時期、アフリカを飢饉が襲ったことがありました。エチオピアには日本からもボランティア団体が訪れ、ゲリラの襲撃を避けながら支援活動を続けていました。飢餓の実態や支援活動を取材するためにテレビ局のスタッフも長期取材をしていました。

飢えのために目の前で息耐えていく人を見ながら、何もできない無力感、押し寄せてくるゲリラの恐怖の中に立たされていると、精神がおかしくなっていくような気がするそうです。異様な精神状態に耐えられなくなって、禁じられたクスリに手を出す人も中にはいるそうです。そのような状態の中で何とか精神状態をキープできるのは、神への信仰を持っている人だけだと、現地に行った人から聞きました。

モーセはイスラエルの指導者になりなさいと神から示されたとき、自分は口下手でふさわしくありませんと固辞します。それに対して、あなたには弁の立つ兄アロンがいるではないかと神が背中を押されます(出エジプト記4:14)。

また、イザヤは預言者として立つよう神に言われ、自分は口の汚れた者ですと尻込みします。そうすると、天使が彼の唇に触れ、これで大丈夫ですと押し出します(イザヤ書6:7)。これが、聖なる励ましです。

つらい出来事があって心が押しつぶされそうなとき、そばにいて慰めを与え、優しく背中を押して励ましを与えるのが、真実の信仰の仲間なのではないでしょうか。

終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。(コリント人への手紙第二13章11節)

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穂森幸一

穂森幸一

(ほもり・こういち)

1973年、大阪聖書学院卒業。75年から96年まで鹿児島キリストの教会牧師。88年から鹿児島県内のホテル、結婚式場でチャペル結婚式の司式に従事する。2007年、株式会社カナルファを設立。09年には鹿児島県知事より、「花と音楽に包まれて故人を送り出すキリスト教葬儀の企画、施工」というテーマにより経営革新計画の承認を受ける。著書に『備えてくださる神さま』(1975年、いのちのことば社)、『よりよい夫婦関係を築くために―聖書に学ぶ結婚カウンセリング』(2002年、イーグレープ)。

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