東南アジアの中心に位置するタイ王国は、重要な交易路と仏教文化の中心地として長い歴史を刻み、国民の多くが仏教を信仰している。首都バンコクを中心に経済成長を続ける一方で、農村や都市周辺では貧困、借金、家族の問題といった日々の重荷に苦しむ人々が数多くいる。社会的安定が求められるこの国で、人々はしばしば巨大な不安と共に生きている。
そんな日常の中にあった一人の女性の証しを紹介したい。スック・マイトリはごく普通のタイ人女性で、若い頃から家族を支えるために働き続けてきた。日々の生活は決して楽ではなく、食費、電気代、医療費、交通費といった基本的な支出が生活費を圧迫していた。時には借金をし、時には必需品を削らなければならない状況もあったという。彼女は夜、一人で深く考え込み、終わりの見えない不安に押しつぶされそうになったことが何度もあったそうだ。
「これまで何度も『これでいいのだろうか』と考えました」と彼女は語る。日常の苦しみと将来への不安は、常に彼女につきまとった。誰にも打ち明けられない思いを抱え、ただ一人で泣き伏す夜もあったという。生まれてきた意味すら見失っていたと、彼女は当時を振り返る。
しかしそんなある日、近所の人に誘われて村の聖書研究会に参加した。その日は何か期待するわけではなく、ただ一息つける時間を求めてそこに行ったのだ。そこで読まれた主イエスの言葉「あなたがたは何を食べようか、何を飲もうか、また身に着けるものを何にしようかと心配してはならない……あなたがたの天の父が、みなこれを必要としていることをご存じなのだから」(マタイ6章)が、彼女の心に深く刺さった。「まるでイエスご自身が、長い間私が抱えていた不安と恐れを知って、直接語りかけているかのように感じました。私はその場で泣き伏して、涙が止まりませんでした」
その夜、マイトリは初めて真剣に祈った。「イエス様、助けてください。私はもう疲れました。あなたのことを知りたいです」。その祈りは、突然の経済的な奇跡をもたらしたわけではないが、彼女の心には、不思議な平安が訪れた。「今まで感じたことのない心の平穏を感じました」と彼女は言う。そして今では、以前のような絶え間ない不安と恐れではなく、日々の困難の中にも、主イエスが常に共にいてくださるという確信と希望を持って歩んでいる。
彼女はこう語る。「私は今でも月々の支出を管理しなければなりません。しかし、心の状態は、以前とは全く違います。私は主が私の必要を知っておられ、私を決して離れないと信じています」。その確信を通して、彼女は同じ不安を抱える人々に語り、苦しむ隣人に、キリストを信じる希望と慰めを伝えているというのだ。
この物語は、特別な富や劇的な変化を示すものではないが、人知を越えたキリストの平安が、日常の重荷の中にある一人の女性の心に届いたという、生きたキリスト、生きた福音の証しだ。日々の不安や苦悩、経済的な困難がある人々にとって、福音は「生活の助け」だけでなく、「心の平安」という永遠の糧をもたらすのである。
タイの社会的、経済的なプレッシャーに苦しむ人々の心に、神の慰めと希望が満ちるように。また、福音の働きを導く人々、教会、聖書研究会が守られ、タイ全土に「生活の重荷を超える平安の証し」が広がるように祈っていただきたい。
■ タイの宗教人口
仏教 85・3%
カトリック 0・5%
プロテスタント 0・6%
イスラム 7・9%
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