どんな状況にあっても、それを楽しみ、感謝し、肯定的に捉えることができます。反対に、苦痛に感じ、文句を言い、否定的に捉えることもできます。時々、ストレスに押し潰されそうになったり、気が滅入ったり、落ち込んだりしそうになることがあります。そんな時、肯定的な側面を探すことにします。
つらく悲しい状況でも、そんなまれな出来事を経験できることに感謝をします。そうすると、その状況を楽しめるようになります。「ありがとう」を漢字で書くと「有難う」です。「『有る』ことが『難しい』」です。
「有ることが難しい」出来事は、うれしいことばかりではありません。あり得ない、とんでもない、理解し難いことも「有難い」ことです。「有ることが難しい」ことならば、うれしいことも、うれしくないことも「有難い」ので、「ありがとう」と言って受け止めていいことではないでしょうか。
私は、幾つかのボランティア活動をしています。ボランティアは、収入につながらないし、自分の実績ともあまり関係がありませんが、不思議です。終わった後に、言い知れぬ満足感があります。さらに、通常では知り合えないような人と知り合えたり、通常ではできないような仕事を任されたりすることもあります。
しかし、いいように利用され、使いっ走りにされたと感じて、惨めな気分になりそうなこともあります。どれを取っても「有難い」ことですので、「有難う」と受け止め、感謝し、楽しみます。平凡で、平和で、安定している状態も、つかの間の「有難い」状態として「ありがとう」と受け止め、感謝し、楽しみます。
聖書にはこう書かれています。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケ人への手紙第一5章16〜18節)
私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。(ヤコブの手紙1章2節)
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ人への手紙4章4節)
どんなことも感謝し、喜び、楽しむ理由は何でしょうか。神が私たちを分かっていてくださり、マイナスはプラスに変えられ、忍耐や練られた品性を身に付けることができますし、苦しいことがいつまでも続くことはないからです。
少なくとも、天国に行ったら、一切の苦しみから解放されます。毎日「試みに会わせず、悪より救い出したまえ」と祈ります。しかし、神が許された一切の状況や出来事に対して、楽しんで生きようと思っています。神との関係がしっかりしている限り、悲しみも、苦しみも、怒りも含めて、全てのことを楽しむことができると信じます。
神を信じ、共に一日一日、一瞬一瞬を楽しんでまいりましょう。
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